日本三大悪女

鎌倉幕府の尼将軍・北条政子、応仁の乱の陰で財を築いたとされる室町幕府将軍夫人・日野富子、豊臣家を滅亡に導いたと語られる淀殿の三人は、日本三大悪女と呼ばれてきました。いずれも権力の中枢にいて政治を動かした女性であり、後世の男性中心の歴史観の中で「悪女」の烙印を押された面が強く、近年は一族や家を守るために戦った女性として再評価が進んでいます。彼女たちのゆかりの地を訪ねると、その評価の揺れも含めて歴史の面白さが見えてきます。

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北条政子
🏯 歴史🎭 文化
📍 神奈川県 鎌倉市

北条政子

(ほうじょうまさこ)

1157年生まれの鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の妻で、頼朝の死後は尼となって幕府の実権を握り、尼将軍と呼ばれました。承久の乱では御家人を前に演説して幕府を勝利に導いた一方、頼朝の側室を許さず、源氏の血筋を絶やしたと非難されて悪女に数えられます。鎌倉市の寿福寺に墓とされる五輪塔が残ります。

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日野富子
🏯 歴史🎭 文化
📍 京都府 京都市

日野富子

(ひのとみこ)

1440年生まれの室町幕府8代将軍・足利義政の正室です。息子の義尚を将軍にしようとしたことが応仁の乱の一因とされ、乱の最中に高利貸しや関所の税で巨額の富を築いたと伝えられて悪女と呼ばれました。一方で財政破綻した幕府を金銭で支え、乱の終結にも尽力した政治家としての側面が近年見直されています。京都市上京区の華開院に墓があります。

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淀殿
🏯 歴史🎭 文化
📍 大阪府 大阪市

淀殿

(よどどの)

1569年ごろに生まれた織田信長の姪で、豊臣秀吉の側室となり、跡継ぎの秀頼を産んだ女性です。秀吉の死後は大坂城で秀頼の母として実権を握り、徳川家康との和睦をはねつけて大坂の陣を招き、1615年に城とともに滅んだことから悪女と呼ばれました。名は茶々といい、大阪市の大阪城公園には淀殿と秀頼が自刃した地を示す碑が立ちます。

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