鎌倉幕府の尼将軍・北条政子、応仁の乱の陰で財を築いたとされる室町幕府将軍夫人・日野富子、豊臣家を滅亡に導いたと語られる淀殿の三人は、日本三大悪女と呼ばれてきました。いずれも権力の中枢にいて政治を動かした女性であり、後世の男性中心の歴史観の中で「悪女」の烙印を押された面が強く、近年は一族や家を守るために戦った女性として再評価が進んでいます。彼女たちのゆかりの地を訪ねると、その評価の揺れも含めて歴史の面白さが見えてきます。
A.三人とも権力の中枢にいて政治を動かした女性で、それぞれに悪評の理由が語られてきました。北条政子は激しい嫉妬心と源氏の血筋が三代で絶えたこと、日野富子は応仁の乱の最中に高利貸しや関所の税で巨額の富を築いたと伝えられること、淀殿は徳川家康との和睦を拒んで豊臣家を滅亡に追い込んだと語られることが理由とされます。
A.三人とも再評価が進んでいます。北条政子は承久の乱で御家人を結束させて幕府を守った強い女性として、日野富子は困窮した幕府や朝廷を金銭で支え乱の終結にも尽力した実務家として見直されています。淀殿も、両親を戦で失い息子と豊臣家を守ることが唯一残された使命だった立場に理解を示す見方が広がっています。
A.最も古いのは1157年生まれで鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の妻となった北条政子です。次が1440年生まれで室町幕府8代将軍足利義政の正室となった日野富子、最も新しいのが豊臣秀吉の側室で1615年の大坂夏の陣で秀頼とともに自害した淀殿です。
A.北条政子は神奈川県鎌倉市の寿福寺に、息子の実朝と並んで墓と伝わる五輪塔があります。日野富子は京都市上京区の華開院に墓と伝わる供養塔が残ります。淀殿は大阪市中央区の大阪城公園の山里丸跡に「豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地」の碑が立っています。
A.日野富子と淀殿のゆかりの地は近く、京都市と大阪市は直線距離で約40kmです。北条政子の鎌倉市からは、京都市まで約350km、大阪市まで約370km離れています。京都と大阪は続けて巡りやすく、鎌倉は別の旅程で訪ねる形になります。