【概要】
1157年生まれの鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の妻で、頼朝の死後は尼となって幕府の実権を握り、尼将軍と呼ばれました。承久の乱では御家人を前に演説して幕府を勝利に導いた一方、頼朝の側室を許さず、源氏の血筋を絶やしたと非難されて悪女に数えられます。鎌倉市の寿福寺に墓とされる五輪塔が残ります。
【歴史】
北条政子は1157年、伊豆の豪族・北条時政の娘として生まれ、流人だった源頼朝と父の反対を押し切って結婚しました。1180年の頼朝の挙兵を支え、鎌倉幕府の成立後は将軍の妻として政治に深く関わります。1199年に頼朝が没すると出家し、息子の頼家と実朝が相次いで非業の死を遂げた後は、幼い藤原頼経を将軍に迎えて自ら幕府を率い、1221年の承久の乱では御家人を結束させて朝廷軍を破りました。
【特徴】
政子が悪女と呼ばれる最大の理由は、頼朝の愛人の館を焼き払わせるほどの激しい嫉妬心と、息子二人を含む源氏の血筋が三代で絶えたことにあります。しかし承久の乱の際、頼朝の恩を説いて御家人を奮い立たせた演説は、武家政権を存続させた決定的な場面として知られ、その政治力は男性の武将にも劣らないと評価されています。近年は一族と幕府を守り抜いた強い女性として、悪女の評価を見直す動きが広がっています。
【見どころ】
鎌倉市扇ガ谷の寿福寺は、頼朝の死の翌年に政子が創建した禅寺で、鎌倉五山の第三位に数えられます。総門から続く石畳の参道は鎌倉で最も美しい参道の一つとされ、境内奥のやぐらには政子と息子の実朝の墓と伝わる五輪塔が並んでいます。鶴岡八幡宮には政子が安産を祈願した段葛が残り、鎌倉歴史文化交流館などでは政子の生涯を紹介する展示が見られます。
【トリビア】
政子が頼朝と初めて会ったのは、父が京都に赴いている間だったといわれ、父の時政は当初この結婚に猛反対しましたが、政子は嵐の夜に頼朝のもとへ走ったという伝説が残ります。2022年の大河ドラマで再び注目を集め、鎌倉には政子ゆかりの地を巡る観光客が増えました。寿福寺の墓所は静かな場所にあり、政子の墓の隣には歌人でもあった三代将軍・実朝の墓が並んでいます。




