【概要】
御手杵は、下総の大名だった結城家17代当主の結城晴朝が作らせた巨大な槍です。鞘が穀物をつく手杵の形をしていたことが名の由来とされます。晴朝の養子となった徳川家康の次男・結城秀康に受け継がれ、その子孫の松平家に伝わりましたが、1945年の東京の空襲で焼失し、現物は残っていません。いまは茨城県結城市などで複製を見ることができます。
【歴史】
御手杵は室町時代の終わりごろ、下総国の結城家17代当主・結城晴朝が駿河国島田の刀工、五条義助に作らせたと伝わります。晴朝は徳川家康の次男・秀康を養子に迎え、槍は結城秀康を通じてその子孫の松平家に受け継がれました。江戸時代を通じて家の宝として大切にされ、明治以降も子孫の手で東京に保管されていましたが、1945年の東京の空襲で蔵とともに焼失しました。
【特徴】
御手杵は、穂先だけで1メートルを優に超える長さがあった大身槍と伝えられ、天下三名槍のなかでも際立った大きさで知られます。穂の断面は三角形で、突くことに特化した形でした。名の由来は、槍に合わせて作られた巨大な鞘が、穀物をつく手杵の形をしていたことによるとされます。この鞘は大名行列で高く掲げられ、遠くからでも目を引く名物だったといわれます。
【見どころ】
御手杵の現物は残っていませんが、茨城県結城市にある結城蔵美館では、袖蔵の2階に御手杵の複製が展示され、その重さを体感できるように工夫されています。市内の休憩所ふじの蔵にも複製があり、気軽に眺められます。結城紬で知られる城下町には古い見世蔵や土蔵が並び、結城家ゆかりの寺社とあわせて歩くと、御手杵を生んだ土地の歴史を感じられます。
【トリビア】
御手杵を預かっていた当主は、戦火から守るために地中へ埋めるよう家臣に命じたものの、家臣がそれに従わなかったため焼失してしまったという逸話が伝わります。作者の五条義助を生んだ駿河の島田は、島田鍛冶と呼ばれる刀工の一派が栄えた土地として知られ、その地元でも御手杵は郷土の刀工の名作として紹介されています。失われた槍が複製によって各地で語り継がれている珍しい例です。
