木曽三川は、濃尾平野を流れて伊勢湾に注ぐ木曽川・長良川・揖斐川の三つの大河をまとめて呼ぶ名です。かつて下流では三本の川が網の目のようにつながり、輪中の村々はたびたび洪水に苦しみました。1754年から翌年にかけて薩摩藩が幕府の命で宝暦治水に挑み、明治20年からはオランダ人技師デ・レーケの計画をもとに三川を分ける工事が進められました。いまは流域に国営木曽三川公園が広がっています。
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A.かつて下流では三本の川が網の目のようにつながっていたためです。濃尾平野は西へ向かって低くなっているため、揖斐川の下流には川床の高い木曽川や長良川の水が流れ込み、洪水が絶えませんでした。輪中の村々はたびたび洪水に苦しんできました。
A.江戸時代の宝暦治水と、明治の三川分流工事が大きな節目です。1754年から翌年にかけて、薩摩藩が幕府の命で油島に揖斐川と長良川の流れを分ける締切堤を築き、多くの犠牲を払いました。完全な分流が実現したのは、明治20年に始まり、オランダ人技師デ・レーケの計画をもとに進められた三川分流工事によってです。
A.揖斐川下流の海津市にある千本松原と治水神社です。千本松原は揖斐川と長良川のあいだの背割堤に松並木が続く場所で、近くには宝暦治水を指揮した平田靱負をまつる治水神社があります。揖斐川と長良川はこの堤をはさんで肩を並べて流れています。
A.はい、木曽川と長良川のどちらでも鵜飼が行われています。長良川鵜飼は1300年以上続く伝統漁法で、岐阜市内で催され、鵜匠は宮内庁式部職鵜匠という国家公務員の身分を持ちます。木曽川でも夏に千三百年ほど続くという鵜飼が行われ、観覧船から篝火と鵜匠の手さばきを眺められます。
A.下流では三つの川が近づき、揖斐川と長良川は千本松原の堤をはさんで並んで流れます。記事で取り上げた地点どうしの直線距離は、犬山市の木曽川と岐阜市の長良川が約17km、岐阜市の長良川と揖斐川町の揖斐川が約20km、木曽川と揖斐川が約40kmです。