吉田郡山城

(よしだこおりやまじょう)
📍 中国広島県 安芸高田市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

吉田郡山城は、広島県安芸高田市の標高およそ390メートルの郡山を丸ごと城郭化した山城です。1336年に毛利時親が館を構えたのが始まりと伝わり、1523年に家督を継いだ毛利元就が大改修して巨大な要塞へ発展させました。のちに一国一城令で廃城となりました。270を超える曲輪の削平地や堀切の跡、一部の石垣が残り、登城路には元就の墓所と百万一心の碑があります。

【歴史】

吉田郡山城の始まりは、1336年(建武3年)に安芸毛利氏の祖である毛利時親が所領へ下向し、郡山の一角に館を構えたことにあると伝わります。戦国期に入り、1523年に家督を継いだ毛利元就がここを本拠として大改修を進め、山全体を覆う巨大な要塞へと発展させました。1591年に孫の輝元が広島城へ移った後は支城となり、関ヶ原の戦いを経て一国一城令によって廃城となりました。

【特徴】

吉田郡山城は標高およそ390メートルの郡山を丸ごと城郭化したもので、放射状にのびる尾根と谷に沿って270を超える曲輪が配された、西日本有数の規模を誇る山城です。山頂の本丸を中心に二の丸、三の丸が階段状に連なり、御蔵屋敷跡などには石垣も残ります。石垣より土の普請を主体とする点に戦国期の山城らしい姿がよく表れており、登山道の随所で削平地や堀切の跡を確認できます。

【見どころ】

登城路の途中には毛利元就の墓所があり、洞春寺跡の静かな木立の中に一族の墓が並んでいます。その近くに立つのが有名な百万一心の碑で、山頂の本丸跡までは、ここからさらに三十分ほどの登りになります。麓にある安芸高田市の歴史民俗博物館では出土品や城の全体像を学べるうえ、百名城のスタンプもここに置かれているので、先に立ち寄ってから山に入ると縄張りの理解が深まります。

【トリビア】

城跡に立つ百万一心の碑は、「一日一力一心」の三文字を崩して刻んだもので、元就が城の普請にあたり、人柱の代わりにこの文字を刻んだ石を埋めさせたと伝わります。皆が日を、力を、心を一つにすれば事は成るという意味で、毛利家の結束を象徴する言葉として今も親しまれています。原石は早くに失われましたが、拓本をもとに復元された碑が建てられ、訪れる人を静かに迎えています。

📅 最終更新: 2026/9/25
吉田郡山城
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です