山尾庸三

(やまおようぞう)
📍 中国山口県 山口市🏯 歴史🎭 文化

【概要】

山尾庸三は、天保8年(1837年)に周防国二島村、いまの山口県山口市にある秋穂二島で生まれた長州藩士です。ロンドンからグラスゴーへ移り、造船所で働きながら夜学に通いました。帰国後は工学寮と工部大学校を築いて技術者を育て、日本の「工学の父」と呼ばれています。聾唖教育の道を開いた人物でもあります。その足跡は、いまも郷里の山口で語り継がれています。

歴史

山尾庸三は天保8年(1837年)、二島村の庄屋をつとめる家に生まれました。文久3年(1863年)に長州五傑の一人としてロンドンへ渡り、そのままイギリスに残ってグラスゴーのネピア造船所で働きながら、アンダーソン・カレッジの夜学に通います。帰国したのは五人のなかでもっとも遅く、明治元年(1868年)の暮れのことでした。

特徴

山尾庸三は「仮令当時為すの工業無くも、人を作れば其人工業を見出すべし」という言葉を残し、産業よりも先に人を育てるべきだと説きました。明治4年(1871年)に工学寮を設けて初代工学頭となり、明治10年(1877年)にはこれを工部大学校へと発展させます。この学校が、のちの東京大学工学部の源流となりました。

見どころ

山尾庸三が生まれたのは、山口県山口市にある秋穂二島の一帯です。周防灘に面した静かな海辺の地区で、いまも田畑と瓦屋根の家並みが穏やかな景色をつくっています。地元には長州五傑の功績をたたえる顕彰碑が建てられ、同じ市内の新山口駅前の広場にも五人の顕彰碑が置かれています。海に開けた土地で育った少年が造船の国イギリスへ渡ったと思うと、景色の見え方も変わってきます。

トリビア

山尾庸三はイギリスの造船所で手話を使う仲間に出会い、その経験から明治4年(1871年)に盲唖学校の設置を求める建白書を起草したと伝わります。工部卿や初代法制局長官も務め、大正6年(1917年)に世を去りました。技術と教育の両輪で近代化を支えた生涯だったといえます。この建白書は、のちの盲唖学校の設立につながる一歩となりました。

📅 最終更新: 2026/9/22
山尾庸三
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です