遠藤謹助

(えんどうきんすけ)
📍 近畿大阪府 大阪市北区🏯 歴史🎭 文化

【概要】

遠藤謹助は、天保7年(1836年)に萩に生まれた長州藩士で、造幣局長として日本人だけの手による貨幣づくりを進めた「造幣の父」です。明治16年(1883年)には構内の桜を市民に開放し、大阪府大阪市北区にある造幣局の「桜の通り抜け」を始めました。春の名物を生んだ人物として、いまも大阪の街に名を残しています。

歴史

遠藤謹助は天保7年(1836年)に萩の藩士の家に生まれ、文久3年(1863年)に長州五傑の一人としてロンドンへ密航しました。体を壊して慶応2年(1866年)に帰国し、明治3年(1870年)から造幣寮に入ります。以後は亡くなる明治26年(1893年)まで貨幣づくり一筋に歩み、日本の造幣の近代化を静かに支え続けました。

特徴

遠藤謹助は、お雇い外国人の技術に頼っていた造幣の現場を日本人の手に取り戻すことを目標としました。明治14年(1881年)に造幣局長となってからは技術者の育成に力を注ぎ、国産の機械と日本人の職人で貨幣を鋳造する体制づくりを進めます。その歩みから、のちに「造幣の父」と呼ばれるようになりました。明治22年(1889年)には日本人だけの手で銅貨を鋳造したと伝えられます。

見どころ

大阪府大阪市北区にある造幣局の構内は、明治16年(1883年)に遠藤謹助の発案で桜が一般へ開放されました。局員だけで花見をするのはもったいないという言葉が伝わり、いまも春の「桜の通り抜け」として続いています。南門から北門への一方通行で歩く決まりが、通り抜けという名の由来です。約560メートルの並木道をゆっくり歩く、大阪の春の風物詩となっています。

トリビア

桜の通り抜けでは毎年「今年の花」が選ばれ、八重桜を中心とした多くの品種が咲きそろいます。開催の時期や期間は桜の咲き具合によって年ごとに変わるため、訪ねる前に最新の案内を確かめておくと安心です。構内の造幣博物館では、貨幣の歴史や製造の工程を知ることができます。構内の造幣博物館では貨幣の歴史や製造の工程を知ることができ、桜の季節以外でも楽しめます。

📅 最終更新: 2026/9/22
遠藤謹助
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です