井上勝

(いのうえまさる)
📍 中国山口県 萩市🏯 歴史🎭 文化

【概要】

井上勝は、天保14年(1843年)に萩城下で生まれ、鉄道頭として日本の鉄道網づくりを率いた「鉄道の父」です。ロンドンで鉱山と鉄道の技術を学び、明治5年(1872年)の新橋・横浜間の開業を支えました。山口県萩市にある萩駅の駅前には、留学時代の姿をかたどった銅像が立っています。東京駅の丸の内駅前広場にも、同じく銅像が置かれています。

歴史

井上勝は天保14年(1843年)に萩城下の土原で藩士の子として生まれ、養子に入って野村弥吉と名乗りました。文久3年(1863年)に長州五傑の一人として密航し、ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジで鉱山と鉄道の技術を学びます。帰国は山尾庸三と並んで最も遅く、明治元年(1868年)の暮れでした。藩の資金と商社の手を借りた、命がけの船旅でした。

特徴

井上勝は明治4年(1871年)に鉄道頭となり、以後二十年以上にわたって日本の鉄道建設を指揮しました。明治5年(1872年)の新橋・横浜間の開業に始まり、京都と神戸を結ぶ路線や碓氷峠の難工事に取り組み、明治22年(1889年)の東海道本線全通へとつなげます。鉄道を日本人の手で造る道を切り開きました。鉄道の父と呼ばれるゆえんです。

見どころ

山口県萩市にある萩駅の駅前には、平成28年(2016年)の鉄道の日に建てられた井上勝の像が立っています。留学中に撮られた写真をもとにした若い姿で、背後には大正時代の洋風駅舎が残ります。市内の土原には旧宅跡もあり、門が復元されていますが、敷地は私有地のため外からの見学となります。駅舎は登録有形文化財で、内部では郷土の資料も公開されています。

トリビア

井上勝は鉄道の第一線を離れたのちも車両の国産化を志し、明治29年(1896年)に汽車製造合資会社を大阪で興しました。明治43年(1910年)には視察に訪れたロンドンで客死し、かつての留学の地で生涯を終えています。東京駅の丸の内駅前広場にも、駅舎を見上げる姿の銅像が置かれています。鉄道とともに歩んだ生涯を、二つの銅像がいまに伝えています。

📅 最終更新: 2026/9/22
井上勝
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です