長州五傑

長州五傑

長州五傑は、文久3年(1863年)に長州藩が国禁を犯して密航させ、ロンドンへ送り出した井上馨・遠藤謹助・山尾庸三・伊藤博文・井上勝の五人を指します。ジャーディン・マセソン商会の助けで海を渡り、ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジで学びました。帰国後はそれぞれ外交・造幣・工学・内閣・鉄道の礎を築き、近年は「長州ファイブ」の呼び名でも親しまれています。

地域名数>長州五傑
遠藤謹助
🏯 歴史🎭 文化
📍 大阪府 大阪市北区

遠藤謹助

(えんどうきんすけ)

遠藤謹助は、天保7年(1836年)に萩に生まれた長州藩士で、造幣局長として日本人だけの手による貨幣づくりを進めた「造幣の父」です。明治16年(1883年)には構内の桜を市民に開放し、大阪府大阪市北区にある造幣局の「桜の通り抜け」を始めました。春の名物を生んだ人物として、いまも大阪の街に名を残しています。

遠藤謹助の詳細を見る »
井上馨
🏯 歴史🎭 文化
📍 山口県 山口市

井上馨

(いのうえかおる)

井上馨は、天保6年(1836年)に周防国湯田村、いまの山口県山口市にある湯田温泉で生まれた長州藩士です。密航留学から戻ると開国派として明治政府に加わり、外務卿や初代外務大臣として不平等条約の改正に力を注ぎました。生家のあった場所は井上公園として整備され、園内には井上馨侯銅像が立っています。「外交の父」とも称される人物です。

井上馨の詳細を見る »
山尾庸三
🏯 歴史🎭 文化
📍 山口県 山口市

山尾庸三

(やまおようぞう)

山尾庸三は、天保8年(1837年)に周防国二島村、いまの山口県山口市にある秋穂二島で生まれた長州藩士です。ロンドンからグラスゴーへ移り、造船所で働きながら夜学に通いました。帰国後は工学寮と工部大学校を築いて技術者を育て、日本の「工学の父」と呼ばれています。聾唖教育の道を開いた人物でもあります。その足跡は、いまも郷里の山口で語り継がれています。

山尾庸三の詳細を見る »
伊藤博文
🏯 歴史🎭 文化
📍 山口県 萩市

伊藤博文

(いとうひろぶみ)

伊藤博文は、天保12年(1841年)生まれの長州藩士で、明治18年(1885年)に初代内閣総理大臣となった人物です。松下村塾に学び、密航留学を経て明治政府の中枢を歩みました。少年期から青年期を過ごした茅葺きの家が、山口県萩市にある伊藤博文旧宅として残り、国の史跡に指定されています。隣には東京にあった別邸の一部も移されています。

伊藤博文の詳細を見る »
井上勝
🏯 歴史🎭 文化
📍 山口県 萩市

井上勝

(いのうえまさる)

井上勝は、天保14年(1843年)に萩城下で生まれ、鉄道頭として日本の鉄道網づくりを率いた「鉄道の父」です。ロンドンで鉱山と鉄道の技術を学び、明治5年(1872年)の新橋・横浜間の開業を支えました。山口県萩市にある萩駅の駅前には、留学時代の姿をかたどった銅像が立っています。東京駅の丸の内駅前広場にも、同じく銅像が置かれています。

井上勝の詳細を見る »

❓ 長州五傑のよくある質問

Q.長州五傑はいつ、どこへ留学したのですか?

A.長州五傑は文久3年(1863年)に、長州藩が国禁を犯して密航させ、ロンドンへ送り出した五人です。ジャーディン・マセソン商会の助けで海を渡り、ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジで学びました。山尾庸三はのちにグラスゴーへ移り、造船所で働きながら夜学に通っています。

Q.長州五傑の五人は帰国後それぞれ何をしたのですか?

A.五人はそれぞれ外交・造幣・工学・内閣・鉄道の礎を築きました。井上馨は初代外務大臣、遠藤謹助は造幣局長、山尾庸三は工学寮と工部大学校を築いた人物、伊藤博文は初代内閣総理大臣、井上勝は鉄道頭です。遠藤謹助は「造幣の父」、山尾庸三は「工学の父」、井上勝は「鉄道の父」と呼ばれています。

Q.長州五傑のうち早く帰国したのは誰ですか?

A.井上馨と伊藤博文は、渡航の翌年に急ぎ帰国しました。故郷が外国艦隊と衝突しようとしていることを知り、藩の説得にあたるためでした。遠藤謹助は体を壊して慶応2年(1866年)に帰国し、最も遅かった山尾庸三と井上勝の帰国は明治元年(1868年)の暮れでした。

Q.長州五傑ゆかりの場所はどこにありますか?

A.遠藤謹助ゆかりの造幣局は大阪府大阪市北区にあり、ほかの人物のゆかりの地は山口県にあります。山口市には井上馨の生家跡の井上公園と山尾庸三が生まれた秋穂二島、萩市には伊藤博文旧宅と萩駅前の井上勝の像があります。萩市の二か所は直線距離で約2km、山口県と大阪府のあいだは約380km離れています。

Q.長州五傑の遠藤謹助と造幣局の桜の通り抜けにはどんな関係がありますか?

A.造幣局の「桜の通り抜け」は、遠藤謹助の発案で始まりました。造幣局長だった遠藤謹助が明治16年(1883年)に構内の桜を市民に開放したもので、局員だけで花見をするのはもったいないという言葉が伝わっています。いまも大阪の春の風物詩として続いています。

📍 所在地マップ

愛媛県岡山県京都府広島県香川県高知県大阪府大分県鳥取県島根県徳島県兵庫県和歌山県24513井上馨遠藤謹助山尾庸三伊藤博文50 km地図データ: Natural Earth
  1. 1井上馨Google マップ
  2. 2遠藤謹助Google マップ
  3. 3山尾庸三Google マップ
  4. 4伊藤博文Google マップ
  5. 5井上勝Google マップ