【概要】
井上馨は、天保6年(1836年)に周防国湯田村、いまの山口県山口市にある湯田温泉で生まれた長州藩士です。密航留学から戻ると開国派として明治政府に加わり、外務卿や初代外務大臣として不平等条約の改正に力を注ぎました。生家のあった場所は井上公園として整備され、園内には井上馨侯銅像が立っています。「外交の父」とも称される人物です。
【歴史】
井上馨は天保6年(1836年)に湯田村の藩士の家に生まれ、聞多と名乗って幕末の動乱を歩みました。文久3年(1863年)には国禁を破って伊藤博文らとロンドンへ渡り、ユニヴァーシティ・カレッジで学びます。しかし故郷が外国艦隊と衝突しようとしていることを新聞で知り、翌年には急ぎ帰国して藩の説得にあたりました。この決断が、のちの開国路線につながっていきました。
【特徴】
井上馨は明治政府で大蔵大輔や外務卿を務め、実業界とも深く結び付いた現実派の政治家として知られます。明治12年(1879年)から外務のかじ取りを担い、明治18年(1885年)に発足した第一次伊藤内閣では初代外務大臣に就きました。条約改正を最大の課題に据え、欧米と対等に渡り合える国づくりを目指しました。鹿鳴館での舞踏会に象徴される欧化政策も、その取り組みの一つでした。
【見どころ】
生家のあった場所は、山口県山口市にある井上公園として整備されています。平成24年(2012年)に高田公園から改称された園内には、三条実美が身を寄せた何遠亭や七卿の碑が残り、無料で使える足湯も設けられています。湯田温泉の街歩きの起点として訪ねやすく、湯めぐりとあわせて楽しめます。園内には種田山頭火の句碑や中原中也の詩碑もあり、文学散歩の場にもなっています。
【トリビア】
園内に立つ井上馨侯銅像は、大正元年(1912年)に除幕された初代が戦時中に金属として供出され、いまの像は昭和31年(1956年)に再建されたものです。条約改正の交渉は明治20年(1887年)に延期を余儀なくされ、井上馨は外務大臣を辞任しましたが、その後も元老として政界に影響を与え続けました。銅像は湯田温泉の一角から、いまも街の行き交いを見守っています。
