【概要】
伊藤博文は、天保12年(1841年)生まれの長州藩士で、明治18年(1885年)に初代内閣総理大臣となった人物です。松下村塾に学び、密航留学を経て明治政府の中枢を歩みました。少年期から青年期を過ごした茅葺きの家が、山口県萩市にある伊藤博文旧宅として残り、国の史跡に指定されています。隣には東京にあった別邸の一部も移されています。
【歴史】
伊藤博文は天保12年(1841年)に周防国束荷村、いまの光市で生まれ、のちに一家で萩へ移りました。松下村塾で吉田松陰に学び、文久3年(1863年)には長州五傑の一人として国禁を犯してロンドンへ渡ります。翌年、故郷が外国艦隊と交戦しようとしていることを知ると、井上馨とともに急ぎ帰国しました。国禁を犯した密航でしたが、この経験が政治家としての視野を大きく広げました。
【特徴】
伊藤博文は憲法の調査のために渡欧し、帰国後は内閣制度の創設に力を尽くしました。明治18年(1885年)12月に初代内閣総理大臣となり、その後も四度にわたって首相を務めます。大日本帝国憲法の起草を主導し、初代枢密院議長も務めるなど、明治という国家の形をつくった政治家として知られます。近代的な法と制度を根づかせることに力を注いだ生涯でした。
【見どころ】
山口県萩市にある伊藤博文旧宅は、茅葺き寄棟造の平屋で、安政元年(1854年)から明治元年(1868年)まで、十四歳から二十八歳までの伊藤博文が暮らした家です。昭和7年(1932年)に国の史跡へ指定されました。隣には東京にあった別邸の一部が移築され、玄関や大広間の意匠を見ることができます。茅葺きの小さな家からは、若き日の暮らしぶりが伝わってきます。
【トリビア】
伊藤博文の肖像は昭和38年(1963年)に発行が始まった千円札に使われ、多くの人に見慣れた顔となりました。明治42年(1909年)にハルビンで凶弾に倒れるまで、韓国統監などの要職を歴任しています。旧宅から歩いてすぐの場所には、かつて学んだ松下村塾を境内に残す松陰神社があります。萩の城下町歩きとあわせて訪ねる人が絶えません。
