【概要】
矢橋帰帆は、矢橋の港へ帆を下ろしながら帰ってくる船の景色で、近江八景のひとつです。矢橋から対岸の大津の石場へ渡れば東海道の近道になるため、ここは琵琶湖でも指折りの賑わう港でした。帆船が行き交った水域は昭和の琵琶湖総合開発で埋め立てられ、いまは石積みの突堤と一基の常夜灯が残るだけの公園として整えられています。
【歴史】
矢橋は琵琶湖の南湖でもっとも湾入した地にひらけた港町で、『万葉集』に詠まれるほど古くから船着き場として使われてきました。織田信長が近江を押さえたころには東海道への近道として重みを増し、江戸時代には膳所藩の領となります。近衛信尹はこの渡し船の情景を選び、瀟湘八景の遠浦帰帆にあたる矢橋帰帆として近江八景に加えました。
【特徴】
帰帆とは、沖から帆を下ろしながら港へ戻ってくる船をいいます。滋賀県草津市にある矢橋と対岸の石場を結ぶ航路は、陸路で瀬田川を回るより早く京へ入れたため、多くの旅人がここで船に乗り換えました。歌川広重の絵では、湖面をわたる何艘もの帆船と、その向こうにかすむ比叡や比良の山なみが、淡い色づかいで描き込まれています。
【見どころ】
明治に入って琵琶湖に蒸気船が就航し、やがて鉄道が物資輸送の主役になると矢橋の港はさびれていきました。沖はその後の琵琶湖総合開発で埋め立てられて人工島となり、下水処理場や公園が置かれています。かつての港の跡は公園として整えられ、石積みの突堤と、弘化三年にあたる1846年に建てられた常夜灯がいまも残っています。
【トリビア】
帆船の列が湖面をわたる眺めはもう見られませんが、埋立地に付けられた矢橋帰帆島という名が、この景色の記憶をとどめています。急がば回れということわざは、もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋という歌に由来すると伝えられ、比良おろしに揺られるこの渡しが、近道ながら難所であったことを物語っています。




