宇喜多秀家

(うきたひでいえ)
📍 中国岡山県 岡山市北区🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

宇喜多秀家は八歳ほどで家督を継ぎ、秀吉の猶子として備前・美作などおよそ57万4千石を領した、豊臣五大老の最年少です。妻は前田利家の娘の豪姫でした。関ヶ原では西軍の主力として戦って敗れ、薩摩に潜んだのち1606年に八丈島へ流されます。島で五十年を過ごし、1655年に84歳で世を去りました。居城の岡山城は今も市の中心に残ります。

歴史

宇喜多秀家は、謀略で備前を切り取った宇喜多直家の子として1572年に生まれ、父の死により幼くして家督を継ぎました。豊臣秀吉に深く可愛がられて猶子となり、前田利家の娘で秀吉の養女でもあった豪姫を妻に迎えます。文禄の役では総大将に任じられて漢城を攻略し、若くして参議に叙され、五大老の一人に数えられるまでになりました。

特徴

秀家は五大老のなかで最も若く、秀吉が没した年にはまだ二十七歳ほどでした。豊臣一門に準じる厚い扱いを受けており、その恩顧の深さから関ヶ原では迷いなく西軍に付き、一万七千の兵を率いて奮戦します。一方で家中では、直家以来の重臣が相次いで出奔する宇喜多騒動が起こり、開戦前に家臣団を大きく損ねていたことが弱みとなりました。

見どころ

秀家が完成させた岡山城は、岡山県岡山市北区で旭川を天然の堀とする平山城です。黒い下見板張りの外観から烏城と呼ばれ、天守は戦災で焼けたのち1966年に再建され、2022年に大きく改修されました。秀家が築いた不等辺五角形の天守台や、石垣に残る野面積みの古い区画は当時のままで、対岸の後楽園から全景を望めます。

トリビア

関ヶ原で敗れた秀家は伊吹山へ逃れ、島津氏を頼って薩摩に匿われました。助命の嘆願が実って死罪を免れ、1606年に八丈島へ送られます。島には豪姫の実家である前田家から米や金子、料紙が届き続け、その支援は幕末まで途切れなかったと伝わります。五大老の誰よりも長く生き、流人のまま八十四年の生涯を島で終えた人でした。

📅 最終更新: 2026/9/22
宇喜多秀家
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です