豊臣五大老

豊臣五大老

豊臣五大老は、秀吉の晩年に置かれた徳川家康・前田利家・毛利輝元・宇喜多秀家・上杉景勝の五人を指し、幼い秀頼を支えるための合議の仕組みでした。ただし「大老」の語は同時代の史料に見えず後世の呼び名とされ、当時は「奉行」「年寄」などと呼ばれたとされます。小早川隆景を含めて六人だった時期や、利家の死後に子の利長が加わった時期もあったとされ、顔ぶれは終始一定ではありませんでした。

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上杉景勝
🏯 歴史⛰️ 名所
📍 山形県 米沢市

上杉景勝

(うえすぎかげかつ)

上杉景勝は上杉謙信の後継として越後の春日山城を継ぎ、1598年に会津120万石へ移されて豊臣五大老の一人となりました。秀吉の死後は家康と対立し、執政の直江兼続の名で返された書状が会津征伐の引き金になります。関ヶ原の後、1601年に米沢30万石へ減らされ、以後は米沢城を居城として藩の基礎を築きました。

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前田利家
🏯 歴史⛰️ 名所
📍 石川県 金沢市

前田利家

(まえだとしいえ)

槍の又左と呼ばれた織田家の武将から、加賀・能登・越中およそ83万石の大名となり、1583年に金沢城へ入って本拠としました。豊臣五大老の一人として秀頼の傅役を務め、大坂城で幼君を後見しながら家康を牽制します。しかし秀吉の死からわずか八か月後、1599年閏3月に病没し、重石を失った政権の均衡は一気に崩れました。

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徳川家康
🏯 歴史⛰️ 名所
📍 愛知県 岡崎市

徳川家康

(とくがわいえやす)

徳川家康は、天文11年(1542年)12月26日に岡崎城内で生まれ、江戸幕府を開いた武将です。生誕地は愛知県岡崎市にある岡崎城で名古屋ではありませんが、のちに尾張の拠点を清須から移して名古屋城を築かせた人物であり、名古屋三英傑の一人に数えられます。岡崎公園には産湯の井戸やえな塚が残り、誕生の地であることを伝えています。

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宇喜多秀家
🏯 歴史⛰️ 名所
📍 岡山県 岡山市北区

宇喜多秀家

(うきたひでいえ)

宇喜多秀家は八歳ほどで家督を継ぎ、秀吉の猶子として備前・美作などおよそ57万4千石を領した、豊臣五大老の最年少です。妻は前田利家の娘の豪姫でした。関ヶ原では西軍の主力として戦って敗れ、薩摩に潜んだのち1606年に八丈島へ流されます。島で五十年を過ごし、1655年に84歳で世を去りました。居城の岡山城は今も市の中心に残ります。

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毛利輝元
🏯 歴史⛰️ 名所
📍 広島県 広島市中区

毛利輝元

(もうりてるもと)

毛利輝元は毛利元就の孫として中国地方の広大な所領を受け継ぎ、1589年から広島城を築いて本拠を移しました。豊臣五大老の一人に数えられ、1595年には112万石を安堵されています。1600年に西軍の総大将として担がれたものの関ヶ原の戦場には出ず、敗戦後は周防・長門の二か国へ大きく減らされ、萩城へ移りました。

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📍 所在地マップ