【概要】
徳川家康は、天文11年(1542年)に愛知県岡崎市の岡崎城で生まれ、江戸幕府を開いた武将です。織田信長・豊臣秀吉とともに名古屋三英傑の一人に数えられます。晩年の秀吉からは五大老の筆頭として幼い秀頼の後見を託されましたが、秀吉の死後に力を強め、関ヶ原の戦いを経て天下を握りました。岡崎公園には産湯の井戸やえな塚が残り、誕生の地であることを伝えています。
【歴史】
徳川家康は天文11年(1542年)12月26日、松平広忠の子として岡崎城内に生まれ、竹千代と名付けられました。幼少期は織田氏と今川氏のもとで人質として過ごし、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いののちに岡崎へ戻って自立します。信長と同盟を結んで勢力を広げ、秀吉に臣従したのちは関東に移封されて江戸を本拠とし、慶長8年(1603年)に江戸幕府を開きました。
【特徴】
徳川家康は、豊臣政権の末期に政務を担った五大老の一人で、前田利家とともにその上首に置かれ、筆頭と目されました。五大老は慶長3年(1598年)ごろに秀吉が定めた体制で、家康は伏見城で政務をとり、利家は大坂城で秀頼を守り育てる役を担いました。「五大老」の呼び名は後世のもので、秀吉の遺言状案では「おとな五人」と記されています。
【見どころ】
慶長3年(1598年)8月に秀吉が亡くなると、家康は大名との婚姻を無断で進めるなど影響力を強めました。翌年に前田利家が没すると、七将に襲われた石田三成を仲裁して佐和山に退かせ、五大老の中で抜きんでた立場を得ます。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで勝利したことで、五大老の体制は事実上崩れました。生誕地の岡崎公園には産湯の井戸やえな塚が残ります。
【トリビア】
徳川家康は慶長14年(1609年)に尾張の拠点を清須から移すことを決め、翌年から名古屋城の築城を始めさせました。城下町ごと引き移した清須越によって、いまの名古屋の骨格が生まれています。生誕地は名古屋ではなく岡崎ですが、名古屋の町をつくった人物として信長・秀吉と並ぶ名古屋三英傑に数えられ、名古屋まつりの郷土英傑行列でも3人目の英傑として街を進みます。
