【概要】
内川暮雪は、瀬戸橋の奥に広がっていた内川の入江と、その岸辺が夕暮れの雪に包まれる景色で、金沢八景のひとつです。入江は江戸時代から新田として埋め立てが進み、いまでは区役所や住宅の建ち並ぶ市街地になりました。描かれた場所がはっきりせず、八景のなかでもっとも異説の多い題でもあり、舞台を思い描くには地形の移り変わりをたどる必要があります。
【歴史】
内川の入江は、瀬戸神社のあたりから奥へ深く入り込んだ内海で、岸辺では塩づくりが営まれていました。江戸時代の前期になると永島泥亀が干拓に乗り出し、入江は少しずつ泥亀新田と呼ばれる田畑へと姿を変えていきます。心越禅師の八景では、瀟湘八景の江天暮雪にあたる題として、瀬戸橋の奥に広がるこの入江の冬の夕景が選ばれました。
【特徴】
横浜市の解説では、歌川広重の内川暮雪は、内川の塩田から三浦半島の山々を望んだ様子とされています。一方で、描かれた場所はほかの七景ほどはっきりせず、絵の山を鷹取山とみて、洲崎や野島のあたりからの眺めとする説もあります。雪の積もる夕暮れという、八景のなかでもっとも寒々しい季節と時刻を受け持つのが内川暮雪です。
【見どころ】
入江の大半は陸地になり、いまの泥亀の町や金沢区役所の一帯が、かつての水面にあたります。往時の内海や塩田は残っていませんが、瀬戸橋のたもとに立って入江があった方角を眺めると、平潟湾から奥へ水が入り込んでいた地形を思い描けます。南関東の海辺では雪が少ないため、題のとおりの雪の夕暮れに出会えるのは、冬のうちでもまれな機会です。
【トリビア】
泥亀という珍しい町名は、入江の干拓を始めた永島家の当主の号にちなむものです。新田開発はその後も子孫に受け継がれ、海だった土地は田畑となり、さらに近代以降は市街地へと変わりました。八景のうち、内川暮雪は干拓によって舞台そのものが陸になった題で、景色の移り変わりを町名の由来からたどれる珍しい例といえます。
