【概要】
神奈川県鎌倉市の中心を貫く参道「若宮大路」の海側入り口に堂々とそびえ立つのが、鶴岡八幡宮の「一の鳥居」です。江戸時代中期の1668年(寛文8年)、江戸幕府の第4代将軍・徳川家綱によって寄進されました。備前国(現在の岡山県)から運んで作られた高さ8.5メートルの巨大な花崗岩製の明神鳥居です。大正時代の関東大震災で一度は倒壊してしまいましたが、その後、修復・再建され、現在も古都鎌倉の玄関口として、海へ向かって吹く風の中で人々の往来を見守っています。
【歴史】
鶴岡八幡宮の一の鳥居の歴史は古く、鎌倉幕府を開いた源頼朝によって1180年に創建された当初は木造でした。その後、1668年(寛文8年)に、江戸幕府の第4代将軍・徳川家綱の命により、備前国(犬島)から花崗岩を船で運び込み、堅牢な石造りの鳥居として建て替えられました。重要文化財に指定されていましたが、1923年(大正12年)の関東大震災により惜しくも倒壊。その後、篤志家によって昭和11年に倒壊した元の石材を用いて見事に再建され、現在に至っています。
【特徴】
この鳥居は「明神鳥居(みょうじんとりい)」と呼ばれる最も一般的で美しいアーチ形の形式をとっています。高さは約8.5メートルあり、鎌倉市内の建築物や構造物の中でもひときわ目立つ巨大なスケールを誇ります。最大の特徴は、大正時代の関東大震災による倒壊で柱が分断されたため、修復された際の継ぎ目がはっきりと目視できる点です。傷跡を残しながらも堂々と建ち続ける姿は、鎌倉が経験した災害の歴史を後世に伝える貴重なモニュメントとしての役割も果たしています。
【見どころ】
一の鳥居は、鶴岡八幡宮の境内から南へずっと離れた、由比ガ浜海岸に近い若宮大路の入り口に位置しています。ここから二の鳥居、三の鳥居、そして本宮へと続く約1.8キロメートルの一直線の参道のスケール感は見事です。特に、鳥居を額縁に見立てて、その中に鎌倉の街並みと、遠く山の緑に包まれた鶴岡八幡宮の本殿の姿を一直線上に捉えることができる眺めは、鎌倉という街の都市計画の美しさと歴史の深さを一度に感じられる絶景スポットです。
【トリビア】
鶴岡八幡宮の参道である若宮大路には一から三までの鳥居がありますが、すべて色が異なります。一の鳥居は「石でできた灰色」、二の鳥居と三の鳥居は「鮮やかな朱色のコンクリート製」となっています。これは、二の鳥居と三の鳥居もかつては同じく石造りでしたが、関東大震災で倒壊したのち、安全基準の問題などから現代の素材で朱色に再建されたためです。また、現在の一の鳥居の修復工事には、倒壊で失われた部分を補うため、わざわざ台湾から同じ質の石材を取り寄せたと言われています。




