鳥取城

(とっとりじょう)
📍 中国鳥取県 鳥取市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

鳥取城は、天文年間に因幡守護の山名誠通が鳥取県鳥取市の久松山に築いたと伝わる城です。1581年に羽柴秀吉の兵糧攻めを受け、城将の吉川経家が自刃して開城しました。のちに池田氏が近世城郭に改め、池田氏12代の居城として明治を迎えています。山上ノ丸と山下ノ丸に中世山城と近世城郭が重なって残り、2012年に復元された天球丸の巻石垣も見どころです。

【歴史】

鳥取城は天文年間(1532年から1555年)の頃、因幡守護の山名誠通が久松山に築いたと伝わります。天正9年(1581年)には羽柴秀吉による徹底した兵糧攻めを受け、3か月余りに及ぶ籠城の末に城将の吉川経家が自刃して開城しました。関ヶ原の戦いの後は池田長吉が入って近世城郭に改め、寛永9年(1632年)に池田光仲が入封してからは池田氏12代の居城として明治維新を迎えました。

【特徴】

鳥取県鳥取市にある標高約263メートルの久松山を利用した城で、山頂の山上ノ丸と山麓の山下ノ丸から成ります。戦国期の中世山城と江戸期の近世城郭が一つの山に重なって残るため、城郭史の変遷をたどれる城郭の博物館とも評されます。山下ノ丸には藩主の居館が置かれ、鳥取藩の政庁として機能しました。天球丸や二の丸には壮大な石垣が築かれ、山上からは日本海を見渡す眺望が広がります。

【見どころ】

最大の見どころは天球丸に築かれた巻石垣です。文化年間に石垣のはらみを抑えるために積まれたもので、角のない球面状の石垣は国内で唯一の確認例とされ、平成24年に復元されて往時の姿を取り戻しました。山麓には明治40年に建てられた白亜の洋館である仁風閣が建ち、国の重要文化財として公開されています。山上ノ丸までは徒歩でおよそ40分、登り着けば城下と海を一望できます。

【トリビア】

秀吉の兵糧攻めは「鳥取の渇え殺し」と呼ばれ、備中高松城の水攻めなどと並ぶ苛烈な城攻めとして知られています。秀吉は事前に商人を送り込んで領内の米を高値で買い占めさせ、城内を極度の食糧難に追い込んだと伝わります。城将の吉川経家は城兵の助命と引き換えに自刃し、その潔さは敵将である秀吉からも惜しまれたと伝えられ、その姿を伝える銅像が城跡に建てられています。

📅 最終更新: 2026/9/25
鳥取城
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です