【概要】
京都・三十三間堂の南大門に続く築地塀で、豊臣秀吉(太閤)の寄進によって造られました。高さ約5.3メートル、全長約92メートルという巨大さを誇り、瓦には太閤桐の紋が入っています。
【歴史】
太閤塀(三十三間堂)は、豊臣秀吉が方広寺大仏殿を造営した際、蓮華王院(三十三間堂)が同寺の境内に取り込まれたことに伴って築かれた築地塀です。修理の際に「天正十六年八月大ふつ殿瓦」とヘラ書きされた瓦が見つかっており、天正年間の造営を裏付けています。秀吉が築いた塀は慶長伏見地震で倒壊し、現在の塀は子の秀頼が再建したものと伝わります。
【特徴】
太閤塀は木骨土造の築地塀で、高さ約5.2メートル、桁行約92メートル(二十九間)という桃山時代らしい堂々たる規模を誇ります。屋根は本瓦葺で、軒平瓦には豊臣家の紋である「太閤桐」の文様があしらわれており、これが「太閤塀」の名の由来となりました。瓦の銘と桐紋によって豊臣家ゆかりの遺構であることが明らかで、南大門とともに国の重要文化財に指定されています。
【見どころ】
太閤塀は三十三間堂の境内南端を区切るように東西に延び、塩小路通に面した南大門に接しています。慶長5年(1600年)に秀頼が建てた南大門は切妻造・本瓦葺の八脚門で、塀と門が一体となった景観は桃山の気風を今に伝えます。京都市を訪れたら、堂内の千体千手観音を拝観したあとに南側へ回り、軒先の桐紋瓦を見上げながら塀の長さを実感してみてください。
【トリビア】
太閤塀の瓦に刻まれた「大ふつ殿」とは方広寺大仏殿のことで、秀吉が奈良の大仏をしのぐ大仏を造ろうとした一大事業の名残です。文禄4年(1595年)に完成した大仏は翌年の慶長伏見地震で開眼を前に倒壊し、塀も同じ地震で崩れました。また、かつて三十三間堂にあった西大門は明治28年(1895年)に東寺へ移築され、現在は東寺の南大門として重要文化財に指定されています。




