白河関

(しらかわのせき)
📍 福島県 白河市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

白河関は、福島県白河市にある旗宿の丘に跡が残る古代の関所で、陸奥国の南の玄関口にあたりました。平安時代の公文書にも名が見え、蝦夷に備える最前線として築かれたと考えられています。寛政十二年に白河藩主の松平定信が考証して場所を定め、現在は国の史跡に指定されています。歌枕としても名高く、多くの歌人が憧れた地で、丘には空堀や土塁の跡が今も残ります。

【歴史】

白河関は奈良時代から平安時代にかけて機能したとされ、九世紀の記録には白河と菊多という二つの関が並んで登場します。承和二年の記事では、設置から四百年余りを経ていると記されました。蝦夷に備える前線の拠点でしたが、律令国家の勢力が北へ伸びるにつれて軍事的な役割を失い、やがて位置すら忘れられていきます。現在では東北への入口を象徴する地として語られています。

【特徴】

福島県白河市にある旗宿の丘陵が関の跡とされ、寛政十二年、つまり一八〇〇年に白河藩主の松平定信が文献を突き合わせて考証し、白河神社の建つ場所を関跡と定めました。昭和三十四年から五年にわたる発掘調査では空堀や土塁、柵列、門の跡などが確認され、一九六六年に国の史跡「白河関跡」に指定されています。旗宿は那須の山あいを越える街道筋にあたります。

【見どころ】

丘の頂に鎮座する白河神社は関の明神、二所関明神とも呼ばれ、元和元年に伊達政宗が社殿を改築して奉納したと伝えられます。境内には新古今和歌集の撰者である藤原家隆が手植えしたという樹齢八百年ほどの巨杉「従二位の杉」がそびえ、周囲を巡る空堀と土塁の起伏も静かな森の中に残されています。秋には森全体が色づき、歌に詠まれた情景を思い描きながら歩けます。

【トリビア】

能因法師が詠んだ「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」によって、白河関は歌枕として一躍名を知られました。のちに西行や松尾芭蕉も訪ねています。白河神社は一九九七年から夏の甲子園に出る高校へ通行手形を贈っており、優勝旗が白河の関を越えるという言い回しでも親しまれています。この手形は関の名を今に伝える縁起物になっています。

📅 最終更新: 2026/9/13
白河関
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です