奥州三関は、古代の律令国家が蝦夷との境目に設けた三つの関所、白河関・勿来関・念珠ヶ関をまとめた呼び名です。奥州三古関、奥羽三関とも呼ばれます。いずれも都の人々にとって北の果てを示す境として意識され、平安時代以降は歌枕として数多くの和歌に詠まれました。ただし勿来関と念珠ヶ関は古代の関の正確な位置が定まっておらず、今日訪ねられる史跡は伝承地・推定地とされています。
A.奥州三関は、古代の律令国家が蝦夷との境目に設けた三つの関所です。白河関は陸奥国の南の玄関口、勿来関は陸奥国の海沿いの入口、念珠ヶ関は日本海側を守る関にあたりました。都の人々にとって北の果てを示す境として意識され、平安時代以降は歌枕として数多くの和歌に詠まれました。
A.白河関は寛政十二年に松平定信が考証して場所を定め、発掘調査を経て国の史跡になっています。一方、勿来関と念珠ヶ関は古代の関の正確な位置が定まっていません。勿来関には宮城県利府町の名古曽に求める説もあり、念珠ヶ関では一九六八年の発掘で近世の関所跡とは別に古代の関の跡と見られる遺構が確認されました。
A.白河関は能因法師の「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」で歌枕として名を知られ、のちに西行や松尾芭蕉も訪ねました。勿来関では、源義家が詠んだと伝わる「吹く風を勿来の関と思へども道もせに散る山桜かな」が千載和歌集に収められ、代表的な一首として親しまれています。
A.白河関と勿来関はどちらも福島県にあり、直線距離で約50km離れています。念珠ヶ関は山形県鶴岡市にあり、白河関から直線距離で約180km、勿来関からは約220kmです。太平洋側の勿来関と日本海側の念珠ヶ関が最も離れており、三つの関が東北への入口を広く押さえていたことがわかります。