【概要】
鎌倉時代初期(1205年)、後鳥羽上皇の勅命により編纂された八代目の勅撰和歌集です。藤原定家らが撰者となり、約2,000首を収めています。絵画的・象徴的な「新古今調」と呼ばれる幽玄・有心の美を極めました。
【歴史】
新古今和歌集は、後鳥羽上皇の命により1205年にまとめられた八番目の勅撰和歌集です。上皇は京都府京都市にある御所に和歌所を再興し、源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、飛鳥井雅経を撰者に任じました。当初は寂蓮も加わる予定でしたが、作業が本格化する前に世を去っています。完成後も上皇自ら歌の入れ替えを続け、全20巻におよそ1980首を収める大部の歌集となりました。
【特徴】
新古今和歌集の歌は絵画的で幻想的、そして象徴的で、言外の余情を重んじる点に特色があり、その境地は「幽玄」や「有心」という言葉で語り継がれてきました。古い名歌の一句を取り込んで新たな世界を開く本歌取り、名詞で言い切って余韻を残す体言止め、句の途中で切る初句切れや三句切れといった技法が駆使され、貴族社会が武家の世へ移りゆく時代の無常観が歌の隅々まで色濃くにじんでいます。
【作品背景】
最も多く歌が採られたのは、撰者ではなく漂泊の歌僧・西行で、その数は94首にのぼり、歌集全体の性格を方向づけました。「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」の西行の歌をはじめ、寂蓮と藤原定家の作を合わせた三首は「三夕の歌」と呼ばれ、秋の夕暮れの寂しさを詠んだ名歌として、古くから広く親しまれています。式子内親王や慈円ら、時代を代表する歌人たちの歌も数多く並んでいます。
【トリビア】
編纂を主導した後鳥羽上皇は、1221年の承久の乱に敗れて隠岐へ流されますが、その地でも歌集への執着を捨てることなく、四百首近くを削り取って自ら選び直した「隠岐本」と呼ばれる一本を残しました。撰者の藤原定家は日記『明月記』で編纂をめぐる苦労を書き残しており、後年その定家が選んだとされる小倉百人一首にも、新古今和歌集からの歌が数多く採られ、その美意識は今日まで伝えられています。
