島尻大里城

(しまじりおおざとじょう)
📍 沖縄県 糸満市🏯 歴史🎭 文化

【概要】

島尻大里城は、沖縄県糸満市にある南山王の王城跡で、南山グスク・高嶺グスクとも呼ばれます。標高約60メートルの丘に築かれた連郭式のグスクで、島尻地方を治めた南山は明への朝貢や交易で栄えました。1429年に中山の尚巴志に攻められて滅び、三山時代は幕を閉じます。城域の大部分は現在の小学校の敷地となり、北側の崖上に石垣がわずかに残ります。

【歴史】

島尻大里城は、三山時代に沖縄本島南部の島尻地方を治めた南山の王城として築かれました。南山王の承察度は1380年ごろから明へ使者を送り、1385年には山南王として冊封を受けたとされます。その後は汪英紫の子である汪応祖、内紛を経てその子の他魯毎が王位に就きますが、1429年に中山の尚巴志に攻め落とされ、南山王国は滅亡しました。

【特徴】

標高およそ60メートルの琉球石灰岩の丘に築かれた、曲輪を連ねる連郭式のグスクで、城域の面積は約14,120平方メートルと伝えられます。南山グスク・高嶺グスク・島尻大里グスクといった別名でも呼ばれ、糸満市の文化財に指定されています。大正年間の小学校建設で城域の五分の四ほどが失われ、北側の崖上に野面積みの城壁が残るだけとなりました。

【見どころ】

城跡は糸満市立高嶺小学校の敷地と重なっており、南側には高嶺中学校が隣接しています。敷地内に立つ南山神社の大きな鳥居が訪問の目印で、そのそばから北側の崖上へ回ると、わずかに残る城壁を間近に見ることができます。県道七号を挟んだ東側には湧水の嘉手志川があり、こんこんと水をたたえた泉は今も地元の人たちの憩いの場として親しまれています。

【トリビア】

最後の南山王である他魯毎は、尚巴志が持つ金屏風をどうしても欲しがり、王家の財産であった嘉手志川の水源と交換してしまったと伝わります。生活を支える泉を手放した王に人々の心は離れ、南山はあっけなく攻め落とされたという逸話です。また三代目の汪応祖が明で見た竜舟をまねて、ハーリーを始めたという伝承も残されています。

📅 最終更新: 2026/9/13
島尻大里城
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です