琉球三山

琉球三山

琉球三山とは、14〜15世紀の沖縄本島に並び立った北山・中山・南山の三つの勢力を指します。1322年頃に三山が分立したとされ、いずれも明へ使者を送って冊封を受け、海を舞台に交易で競い合いました。やがて中山を握った尚巴志が力を伸ばし、1416年(1422年説もあります)に北山を、1429年に南山を滅ぼして三山を統一し、琉球王国が生まれます。ここでは各勢力の拠点となった三つのグスクを紹介します。

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今帰仁城
🏯 歴史
📍 沖縄県 今帰仁村

今帰仁城

(なきじんじょう)

今帰仁城は沖縄県今帰仁村の本部半島の付け根にある岩山を利用して築かれたグスクで、13世紀末から14世紀にかけて成立したとみられています。三山時代には北山王の居城として本島北部を支配しましたが、1416年(一説に1422年)に中山の尚巴志らに攻められて北山は滅びました。総延長約1500メートルの曲線を描く城壁と平郎門が残り、2000年に世界遺産に登録されています。

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首里城
🏯 歴史
📍 沖縄県 那覇市

首里城

(しゅりじょう)

首里城は、沖縄県那覇市の丘陵に築かれた琉球王国の王城です。創建の年代は明らかでありませんが、最古の遺構は14世紀末のものと推定され、1429年から1879年まで国王の居城でした。琉球石灰岩の城壁が曲線を描いて二重に巡り、守礼門や歓会門などの門が往時の姿を伝えます。2019年の火災で正殿などを失い、復元の過程を公開する「見せる復興」が続けられてきました。

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島尻大里城
🏯 歴史
📍 沖縄県 糸満市

島尻大里城

(しまじりおおざとじょう)

島尻大里城は、沖縄県糸満市にある南山王の王城跡で、南山グスク・高嶺グスクとも呼ばれます。標高約60メートルの丘に築かれた連郭式のグスクで、島尻地方を治めた南山は明への朝貢や交易で栄えました。1429年に中山の尚巴志に攻められて滅び、三山時代は幕を閉じます。城域の大部分は現在の小学校の敷地となり、北側の崖上に石垣がわずかに残ります。

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❓ 琉球三山のよくある質問

Q.琉球三山の北山・中山・南山の拠点はどのグスクですか?

A.北山の拠点は今帰仁城、中山の拠点は首里城、南山の拠点は島尻大里城です。今帰仁城は北山王の居城で別名を北山城といい、島尻大里城は南山王の王城で南山グスク・高嶺グスクとも呼ばれます。首里城は中山の尚巴志が三山を統一したのち、琉球王国の王城となりました。

Q.琉球三山はどのようにして統一されたのですか?

A.中山を握った尚巴志が力を伸ばし、北山と南山を滅ぼして三山を統一しました。北山は1416年(1422年説もあります)に、南山は1429年に攻め落とされ、琉球王国が生まれます。首里城はその後1879年まで国王の居城であり続けました。

Q.琉球三山の三つの勢力は中国とどう関わっていたのですか?

A.三つの勢力はいずれも明へ使者を送って冊封を受け、海を舞台に交易で競い合いました。南山王の承察度は1380年ごろから明へ使者を送り、1385年には山南王として冊封を受けたとされます。今帰仁城の歴史文化センターでは、出土した中国や東南アジアの陶磁器から北山の交易の姿を知ることができます。

Q.琉球三山のグスクのうち世界遺産に登録されているのはどこですか?

A.今帰仁城と首里城が、2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして世界遺産に登録されています。島尻大里城は糸満市の文化財に指定されており、城域の大部分は現在の小学校の敷地となって、北側の崖上に石垣がわずかに残ります。

Q.琉球三山の三つのグスクはどのくらい離れていますか?

A.三つのグスクはいずれも沖縄県にあり、直線距離で首里城と島尻大里城が約10km、今帰仁城と首里城が約60km、今帰仁城と島尻大里城が約70km離れています。今帰仁城は本部半島の付け根に、首里城は那覇市に、島尻大里城は糸満市にあります。

📍 所在地マップ