【概要】
讃岐和三盆糖は、竹糖と呼ばれる細いサトウキビを原料に、押し舟で蜜を搾り、手で研いで仕上げる淡い黄色の砂糖です。江戸時代に高松藩が財政再建の切り札として育てた産業で、明治以降は安価な輸入糖に押されながらも、東かがわ市の数軒が二百年前と変わらない手作業の製法を守り、和菓子に欠かせない砂糖として今も作られ続けています。
【歴史】
高松藩5代藩主の松平頼恭は、飢饉続きで傾いた財政を立て直すため、水の少ない土地でも育つサトウキビに目をつけ、藩医の池田玄丈に研究を命じました。玄丈は志半ばで病没しますが、弟子の向山周慶が奄美大島から遍路に来ていた関良助の助けを得て、1790年に白砂糖の生産に成功します。これが讃岐和三盆糖の始まりで、1835年には藩の糖業保護策も敷かれました。
【特徴】
収穫した竹糖を搾って煮詰め、結晶と蜜が混ざった白下糖をまず作ります。これを麻布に包んで押し舟にかけ、石の重みで蜜を搾り、続いて少量の水を加えて練る研ぎを何度も繰り返し、結晶を細かく整えながら残った蜜を抜いていきます。盆の上で三度研ぐ作業に由来する名だといわれ、仕上がりまでに一か月近い日数と、湿り具合を手で読む職人の勘が要ります。
【味わい】
粒子が細かいため口に入れるとすぐ溶け、黒糖に通じる風味を残しながら後味は軽く、上白糖とは違う奥行きのある上品な甘さが広がります。落雁や打ち物といった干菓子の材料に欠かせず、茶席の菓子を長く支えてきました。砂糖が身近だった土地柄から、あん餅を雑煮に入れるあん餅雑煮という正月料理も生まれ、今も家庭で受け継がれています。
【トリビア】
最盛期には国内に流通する砂糖の8割を高松藩産が占めたとも伝えられ、幕末の讃岐は砂糖で大きな富を築きました。志度に生まれた平賀源内も1763年の物類品隲でサトウキビの絞り方を紹介しており、讃岐と砂糖の縁は深いものです。現在は東かがわ市引田や白鳥の一帯で、1804年創業の三谷製糖などが製糖を続け、引田の讃州井筒屋敷では型抜き体験もできます。




