讃岐三白は、江戸時代以降の讃岐国で盛んに作られた白い特産品、砂糖・塩・綿の三つをまとめた呼び名です。雨が少なく大きな川もない土地で米に頼れなかった高松藩や丸亀藩が、商品作物と塩田に活路を求めた結果でした。ただし三白の語が広まるのは明治以降で、幕末には小豆、明治前期には米を数える説もあり、藩の保護を失って傾きかけた産業をまとめて売り出すための言葉だったとも指摘されています。
A.雨が少なく大きな川もない土地で、米に頼れなかったためです。高松藩や丸亀藩が、商品作物と塩田に活路を求めた結果でした。綿も雨の少ない気候が綿花に向いたため、両藩が年貢を補う商品作物として栽培を奨励しています。
A.三白の語が広まるのは明治以降とされます。幕末には小豆、明治前期には米を数える説もあり、藩の保護を失って傾きかけた産業をまとめて売り出すための言葉だったとも指摘されています。
A.讃岐の綿は、1532年ごろに関谷兵衛国貞が今の観音寺市豊浜町の関谷へ伝えたとされます。讃岐和三盆糖は、向山周慶が1790年に白砂糖の生産に成功したのが始まりです。坂出塩田は久米通賢が開発に尽力し、1832年に完成しました。
A.砂糖と塩は今も作られていますが、綿は営利目的の栽培が途絶えています。讃岐和三盆糖は東かがわ市の数軒が手作業の製法を守り、坂出市ではイオン交換膜法による製塩が続いています。讃岐の綿は明治の安価な輸入綿に押されて畑から姿を消し、わた神社や讃岐かがり手まりがその記憶を伝えています。
A.三つとも香川県内にあります。讃岐和三盆糖の東かがわ市と坂出塩田の坂出市は直線距離で約50km、坂出市と讃岐の綿の観音寺市は約40km、東かがわ市と観音寺市は約70km離れています。