讃岐の綿

(さぬきのわた)
📍 香川県 観音寺市🥢 名産🏯 歴史

【概要】

讃岐の綿は、三白のうち唯一営利栽培が途絶えた産品です。1532年ごろに関谷兵衛国貞が今の観音寺市豊浜町の関谷へ伝えたとされ、幕末以降は西讃の村々で栽培が広がりました。明治の安価な輸入綿に押されて畑からは姿を消しましたが、綿を祀るわた神社や木綿糸を使う讃岐かがり手まりの手仕事が、その記憶を今に伝えています。

【歴史】

讃岐に綿を伝えたのは関谷兵衛国貞で、1532年ごろに今の豊浜町関谷へ移り住み、土地を開いたと近くの七福神社の碑に刻まれています。雨の少ない気候が綿花に向いたため、高松藩と丸亀藩は年貢を補う商品作物として栽培を奨励し、幕末以降の豊浜はとくに盛んで、多度・三野・豊田の三郡が讃岐の綿作のほぼ半分を占め、白い綿花が畑を埋めました。

【特徴】

収穫した綿は綿繰りで種を外し、綿打ちで繊維をほぐし、糸車で紡いで白木綿に織られました。夜まで綿を打つ音が続いたため、丸亀藩が綿打ちの夜間停止を命じたという話も残ります。讃岐の綿から生まれた工芸が讃岐かがり手まりで、もみ殻の芯に草木染めした木綿糸を一針ずつかがる技は、1987年に県の伝統的工芸品に指定されています。

【楽しみ方】

観音寺市豊浜町箕浦の関谷には、国貞を綿の神として祀るわた神社が鎮座し、四国一の綿産地だった土地の誇りを今に伝えています。市内では8月ごろに淡い黄色のワタの花が咲き、四十日ほどでコットンボールが弾ける様子を見られる場所もあり、地元の団体が種から糸へ、糸から布へと全ての工程を手仕事でたどる染織の講座も開いています。

【トリビア】

明治に入ると安価な輸入綿花に押されて豊浜の綿作は衰え、国内の綿栽培は1960年代半ばに事実上終わりました。讃岐三白のうち砂糖は和三盆として、塩は工場での製塩として今も続くのに対し、綿だけが営利目的の栽培を絶やしています。綿業が盛んだった名残として、市内には今も布団店が多いといわれ、暮らしの中に痕跡が残っています。

📅 最終更新: 2026/9/12
讃岐の綿
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です