奥州街道

(おうしゅうかいどう)
📍 福島県 白河市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

奥州街道は江戸日本橋から宇都宮までを日光街道と共有し、そこから北へ分かれて陸奥へ向かった街道です。五街道としての奥州道中は白沢宿から白河宿までの十宿を指し、福島県白河市にある女石の追分が公式の終点でした。その先には仙台や松前へ続く道が延び、江戸と北の国々を結ぶ大動脈となり、白河は北の玄関口として大いににぎわいました。

【歴史】

奥州街道は、東海道や中山道の整備に続いて宿駅が置かれ、江戸と陸奥をつなぐ道として整えられました。幕府の道中奉行が直接管理したのは白沢宿から白河宿までの十宿で、その先の宿々は勘定奉行の管轄に置かれています。街道全体では二十七の宿場が数えられ、参勤交代の大名行列や東北の物資が絶え間なく行き交い、北の玄関口である白河までを幕府が直接押さえていたことになります。

【特徴】

江戸日本橋から宇都宮宿までは日光街道と同じ道を歩き、宇都宮の伝馬町にあった追分で北へ分かれます。白沢、氏家、喜連川、佐久山、大田原、鍋掛、越堀、芦野、白坂と宿場をつなぎ、白河宿に至りました。五街道の中では幕府直轄の宿場の数が少なく、那須野が原の広い原野を進む区間などが旅の印象を強めています。宿場の間隔は広く、旅人は一日の歩みを慎重に計りました。

【見どころ】

福島県白河市にある女石の追分は、奥州道中の終点とされる場所で、ここで会津へ向かう道と仙台方面へ続く道が分かれていました。街道は白河の城下を通り抜けており、周辺には小峰城や街道時代の町並みが残ります。追分には戊辰戦争で戦死した仙台藩士を弔う碑も建てられ、街道が近代史の舞台になったことを伝えます。市内の白河の関跡まで足を延ばせば、歌枕の地の空気も感じられます。

【トリビア】

白河は江戸と陸奥や蝦夷地を結ぶ物流の中継地として栄え、下野国の宇都宮に次ぐ人口を抱えたと伝えられます。古代には都と陸奥の境を示す白河の関が置かれ、能因法師や松尾芭蕉が歌や句に詠んだ土地でもありました。奥州街道という呼び名は広く使われますが、幕府の正式な呼称は奥州道中で、その先は仙台道などと呼ばれました。

📅 最終更新: 2026/9/8
奥州街道
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です