【概要】
小谷城は滋賀県長浜市の標高約四百九十五メートルの小谷山に築かれた山城の跡で、日本五大山城に数えられます。1523年から1524年ごろに浅井亮政が築いたとされ、浅井家三代の居城となりましたが、1573年に織田信長の攻撃で落城し、長政は自害しました。石垣は限られますが、尾根に連なる曲輪や千畳敷とも呼ばれる大広間跡、本丸背後の大堀切などが残る国の史跡です。
【歴史】
小谷城は滋賀県長浜市にある山城の跡で、標高約四百九十五メートルの小谷山に築かれました。大永年間、1523年から1524年ごろに浅井亮政が築いたとされ、久政、長政と浅井家三代五十年ほどの居城となりました。1573年(天正元年)、織田信長の攻撃を受けて落城し、長政は自害、妻のお市の方と三人の娘は城を出て信長のもとへ送られました。
【特徴】
小谷城は尾根筋に曲輪を連ねた大規模な山城で、番所跡から御茶屋、御馬屋、桜馬場、大広間、本丸、中丸、京極丸、小丸、山王丸と続き、さらに奥には大嶽と呼ばれる山頂の砦があります。石垣は限られますが、堀切や土塁で尾根を断ち切る中世山城の構えをよく残し、春日山城や観音寺城と並ぶ日本五大山城に数えられます。城跡は1937年に国の史跡に指定されました。
【見どころ】
大広間跡は千畳敷とも呼ばれる広大な平坦地で、長辺は八十メートルを超え、山城とは思えない規模に驚かされます。本丸跡の背後には深い大堀切が刻まれ、尾根を断ち切る防御の要が実感できます。麓の小谷城戦国ガイドステーションからは番所跡付近まで時期に応じてシャトルバスが運行され、そこから本丸跡までは徒歩三十分ほどで登ることができます。
【トリビア】
小谷城は日本百名城の49番に数えられます。落城の際に城を出たお市の方の三人の娘は、後に豊臣秀吉の側室となった淀殿、京極高次の妻の初、徳川秀忠に嫁いだ江であり、浅井三姉妹として知られています。攻め手のひとりだった羽柴秀吉は戦後に浅井の旧領を与えられ、琵琶湖畔に長浜城を築いて城下を整えました。小谷城の建物や資材は長浜城の築城に転用されたと伝わります。
