【概要】
黒田官兵衛(孝高)が築城を開始し、細川忠興が完成させた城。山国川の河口に位置し、堀にその水を引き込んでいます。扇形の地形から「扇城(せんじょう)」とも呼ばれます。現在の天守は昭和39年に再建された模擬天守です。
【歴史】
中津城は、豊臣秀吉の軍師として知られる黒田孝高、通称官兵衛が、天正十六年に、与えられた豊前の領地の中心にあたる山国川の河口へ築き始めた城です。黒田氏が筑前へ移ったのち、慶長五年に入った細川忠興が官兵衛の町割りを引き継いで城下を整え、ほぼ現在の姿がかたちづくられました。享保二年からは奥平家が城主となり、幕末まで十万石の中津藩を治め、城は明治を迎えるまで奥平家の居城であり続けました。
【特徴】
中津城は、堀に山国川の水と海水が混じり合う汽水を引き込んだ水城で、満潮になると堀が海のように満たされます。高松城、今治城とともに日本三大水城に数えられ、城地が扇を広げたような形をしていることから扇城という別名でも呼ばれてきました。本丸北側の石垣には、黒田時代の粗い野面積みと細川時代の整った石垣とがY字状の目地で接する継ぎ目が、はっきりと見て取れます。
【見どころ】
大分県中津市にある現在の天守は、昭和三十九年に旧藩主の奥平家と市民の寄付によって建てられた五層五階の模擬天守で、二層二階の櫓を伴い、高さは約二十三メートルあります。江戸時代を通じて中津城に天守はなかったとされますが、水堀越しに望むその姿は市民に長く親しまれてきました。最上階からは城下町の町並みと周防灘を一望でき、城内は奥平家歴史資料館として甲冑や刀剣などの品々を展示しています。
【トリビア】
黒田官兵衛が積んだ中津城の石垣は、現存する近世城郭の石垣としては九州最古とされ、川上の古代山城である唐原山城跡から運ばれた七世紀の加工石が転用されていることでも知られます。城下町には福澤諭吉の旧居も残り、蘭学の町としての一面もあわせて楽しめます。なお三大水城の三つ目を膳所城や桑名城とする説もあり、その顔ぶれには諸説がありますが、中津城は水城であることを大きく掲げてその歴史を伝えています。




