興福寺

(こうふくじ)
📍 長崎県 長崎市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

長崎県長崎市にある東明山興福寺は、元和6年(1620年)ごろに開かれた日本で最も古い唐寺とされる黄檗宗の寺院です。朱塗りの山門から「あか寺」の愛称で親しまれ、国の重要文化財である本堂の大雄宝殿は中国の工匠が手がけた本格的な中国建築として知られます。黄檗宗の祖となる隠元隆琦が渡来して最初に入った寺でもあります。

【歴史】

中国江西省の出身である劉覚が長崎に渡り、僧となって真円と名乗り、元和6年(1620年)ごろに小さな庵を結んだのが興福寺の始まりと伝わります。南京など江蘇・浙江方面から来た人々が一寺の創立を図り、媽祖堂と仏殿を建てて真円を開基に迎えました。寛永9年(1632年)には黙子如定が二代の住持となり、伽藍が少しずつ整えられていきます。

【特徴】

興福寺は出身地にちなんで南京寺とも呼ばれ、長崎県長崎市にあり、寺町通りに面して朱塗りの山門を構えています。この鮮やかな門の色から「あか寺」と呼ばれ、町の人々に長く親しまれてきました。本堂にあたる大雄宝殿は中国の工匠が建てた本格的な中国建築で、巧みな彫刻や華やかな彩色、氷裂式の組子を用いた丸窓など、日本の寺院では珍しい意匠が並びます。

【見どころ】

現在の大雄宝殿は、元禄2年(1689年)に再建された建物が暴風で大破したのち、明治16年(1883年)に建て直されたもので、国の重要文化財に指定され、修理を重ねながら守られてきました。境内には航海の神を祀る媽祖堂や、市中から移築された旧唐人屋敷門も残り、日本の禅寺とは趣の違う黄檗宗らしい空間が広がっています。

【トリビア】

承応3年(1654年)には福建省から隠元隆琦が渡来し、興福寺に入って住持を務めました。隠元はのちに宇治で萬福寺を開いて黄檗宗の祖となり、インゲンマメや精進料理である普茶料理など、多くの文化を日本に伝えたと言われます。また二代住持の黙子如定が、日本最古の石造アーチ橋とされる中島川の眼鏡橋を架けた人物であることも、地元でよく知られた話です。

📅 最終更新: 2026/9/14
興福寺
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です