長崎三福寺は、長崎県長崎市にある興福寺・福済寺・崇福寺という三つの唐寺の総称で、寺号にそろって福の字が入ることからこう呼ばれます。いずれも江戸時代初期に中国から渡ってきた人々が同郷ごとに建てた菩提寺で、禁教下でキリシタンではないことを示す役割も担いました。のちに聖福寺を加えて長崎四福寺と呼ばれることもあり、中国様式の建築や精進料理の文化が今も長崎に息づいています。
A.興福寺・福済寺・崇福寺という三つの唐寺の寺号に、そろって福の字が入ることからこう呼ばれます。いずれも江戸時代初期に中国から渡ってきた人々が同郷ごとに建てた菩提寺で、のちに聖福寺を加えて長崎四福寺と呼ばれることもあります。
A.三寺のうち最も早く開かれたのは興福寺で、元和6年(1620年)ごろに真円が小さな庵を結んだのが始まりと伝わります。福済寺は寛永5年(1628年)に覚海が開き、崇福寺は寛永6年(1629年)に福州出身の人々が超然を招いて創建しました。
A.三寺は建てた人々の出身地が異なります。興福寺は南京など江蘇・浙江方面から来た人々が創立を図った寺で南京寺とも呼ばれ、福済寺は泉州や漳州の出身者が集まったことから泉州寺、漳州寺とも呼ばれました。崇福寺は福州出身の人々が建てたことから福州寺の別名があります。
A.国宝の建物があるのは崇福寺で、正保3年(1646年)建立の大雄宝殿と、元禄9年(1696年)に組み上げたと伝わる第一峰門が国宝です。福済寺もかつて本堂などが国宝に指定されていましたが、昭和20年(1945年)の原爆で伽藍が焼け落ちました。興福寺の大雄宝殿は国の重要文化財です。
A.三寺はいずれも長崎県長崎市にあり、どの二寺の間も直線距離で約1kmです。興福寺は寺町通りに面して朱塗りの山門を構え、福済寺は長崎駅の北側の高台にあり、崇福寺には寺の名をそのまま停留場名とした崇福寺電停があります。