【概要】
三ヶ瀬は最上川三難所の二番目にあたる瀬で、細長い岩礁が川底に三層をなして縦に並ぶことから名が付いたとされます。最上川が大淀の西で凝灰岩の丘陵に突き当たり、U字に大きく西へ迂回する屈曲部にあたるため、流れが岩に振られて舟の舵が利きにくい場所でした。すぐ近くには国道347号の三ケ瀬橋が架かり、瀬の名を今に伝えています。
【歴史】
碁点を抜けた舟が次に迎えるのが三ヶ瀬です。江戸時代には村山地方の紅花や年貢米がこの瀬を越えて酒田湊まで下り、西廻り航路で上方へ届きました。帰りの舟は京や大坂の織物や人形を積んで川を遡り、内陸に上方の文化を伝えました。難所の岩は藩の手による工事のほか、船持や荷問屋が自費で普請して船道を保つ努力が重ねられました。
【特徴】
三ヶ瀬は川底に細長い岩礁が三層をなして縦に並ぶことから名が付いたとされ、瀬が三つ続くように舟を揺らします。北へ流れてきた最上川が大淀の西で凝灰岩の丘陵に突き当たり、U字に大きく西へ迂回する屈曲部にあたるため、流れが岩に振られて舟の舵が利きにくい場所でした。表記は三ケ瀬とも書かれ、近くの橋やバス停の名にもその字が使われています。
【見どころ】
山形県村山市にある三ヶ瀬のそばには国道347号の三ケ瀬橋が架かり、橋の上から瀬の白い波立ちを見下ろせます。現在の橋は2005年10月に完成した全長168メートルの2代目で、1955年に架けられた初代は50メートルほど下流にありました。舟下りではこの瀬を通り抜け、座敷に座ったまま岩を縫う流れを味わえます。
【トリビア】
最上川舟唄では「碁点 隼 三ヶの瀬」と並んで歌われ、川を下る順番とは呼び方が入れ替わって覚えられています。松尾芭蕉も最上川を舟で下りましたが、それは三難所よりずっと下流の区間で、三ヶ瀬を舟で越えたわけではありません。奥の細道に記された舟行とこの三難所の舟下りは、同じ最上川でも別の場所の話として区別して語られます。




