箕輪城

(みのわじょう)
📍 関東群馬県 高崎市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

箕輪城は群馬県高崎市にある平山城跡です。1512年ごろに長野業尚が築いたと伝わり、長野業正は武田信玄の侵攻を再三退けましたが、1566年に落城しました。1590年に入った井伊直政が改修し、1598年に高崎城へ移ったことで廃城となっています。巨大な堀切や土塁、三の丸の石垣などの遺構がよく残り、2016年には郭馬出西虎口門が木造で復元されました。

【歴史】

永正9年(1512年)ごろ、長野業尚によって箕輪城が築かれたと伝わります。二代業正の代には上野西部の要として武田信玄の再三の侵攻を退けましたが、永禄9年(1566年)に子の業盛の代でついに落城しました。以後は武田、織田、北条と城主が変わり、天正18年(1590年)に徳川家臣の井伊直政が12万石で入城して城を改修しています。

【特徴】

群馬県高崎市にある平山城跡で、榛名白川と椿名沼に挟まれた要害の地を利用し、その城域は約47ヘクタールに及ぶ広大なものです。最大の特徴は幅も深さも桁外れの堀切と土塁で、土の城の迫力を存分に味わえます。石垣も一部に用いられ、井伊直政の改修によって近世城郭へ姿を変えていった跡が読み取れます。曲輪は本丸を中心に九つが階段状に配され、西上野を治める拠点にふさわしい構えとなっていました。

【見どころ】

平成28年(2016年)には、箕輪城で最大規模の門だったとされる郭馬出西虎口門が発掘成果に基づいて木造で復元され、往時の姿がよみがえりました。城の中央を南北に貫く大堀切は幅約30メートル、深さ約9メートルにも達し圧巻です。三の丸の石垣や御前曲輪の井戸など、各所に遺構が良好に残っています。虎口から堀底へ下りて見上げると、土の城が持つ圧倒的な高低差を体感できます。

【トリビア】

初期の城主長野業正は武田信玄の攻撃を何度も退けたと伝わり、業正が生きている限り上野は落とせないと信玄に言わしめたという逸話が残っています。慶長3年(1598年)に井伊直政が高崎城へ移ったことで箕輪城は廃城となり、その建物の廃材は高崎城の普請に転用されたともいわれます。城主は戦国の激動のなかで目まぐるしく替わりました。

📅 最終更新: 2026/9/25
箕輪城
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です