【概要】
甑山は鳥取県鳥取市にある標高100メートルほどの低山で、因幡国庁の跡から東を望んだところにこぶのように盛り上がっています。米を蒸す道具の甑に似た丸い山容から名が付いたと伝えられ、因幡三山の一つに数えられてきました。山上には南北朝時代に築かれた甑山城の跡が残り、戦国時代には尼子家の再興を志した山中幸盛が陣を構えた舞台にもなっています。
【歴史】
甑山に城が築かれたのは南北朝時代の初めごろとされ、建武4年(1337年)の記録にその名が見えます。戦国時代の元亀3年(1572年)には尼子家の再興を志す山中幸盛が入り、翌天正元年(1573年)には鳥取城主の武田高信との合戦の舞台になりました。八朔にあたる日に起きたこの戦いは「たのも崩れ」と呼ばれ、因幡の勢力図を塗り替えた一戦として語り継がれています。
【特徴】
甑山は鳥取県鳥取市にある平野のただなかに独立して盛り上がった山で、麓からの高さは80メートルほどしかありません。丸く張り出した山容が、米を蒸すのに使う甑という器に見立てられて山名になったと伝えられます。周囲を水田と袋川の流れに囲まれているため、低いながらも四方から姿がよく見え、東の目印として古くから親しまれてきました。
【見どころ】
山上には甑山城の主郭や竪堀、帯曲輪といった遺構が残り、土を削り盛って築いた中世の山城の造りを間近にたどることができます。西側の麓の谷の奥には城跡を示す案内板が立てられており、そこから尾根へ取り付く道筋が確認できます。ただし整備の程度は一定ではないので、足元の装備を整え、季節や天候を選んで歩くことをおすすめします。
【トリビア】
甑という字を使う山名は各地にあり、秋田県と山形県の県境にそびえる同名の山のほうが登山者には広く知られています。因幡の甑山はそれに比べればごく小さな丘ですが、蒸し器の形になぞらえたという名の由来はどちらにも共通しています。山の西に広がる国府町町屋の集落には大伴家持の歌碑が大正11年(1922年)に建てられ、鳥取市の文化財に指定されています。




