因幡三山は、鳥取県鳥取市にある甑山・今木山・面影山の三つの山をまとめて呼ぶ名前です。奈良時代に因幡国の政治の中心だった国庁の跡を三方から囲むように立ち、その姿が大和三山を思わせることからこう呼ばれるようになったと伝えられます。いずれも標高100メートル前後の低い山ですが、万葉集にゆかりのある歌碑や中世の山城の跡、多くの古墳を抱え、平野のなだらかな風景のなかに古代因幡の記憶をとどめています。
A.奈良時代に因幡国の政治の中心だった国庁の跡を三方から囲むように立ち、その姿が大和三山を思わせることから呼ばれるようになったと伝えられます。甑山・今木山と面影山を合わせた「因幡三山」という呼び名自体は新しく、昭和43年(1968年)に地元の川上貞夫が著した郷土史をきっかけに広まったとされています。
A.三山とも鳥取県鳥取市にあり、因幡国庁の跡から見て東に甑山、南に今木山、最も西に面影山が位置しています。直線距離では甑山と今木山が約1km、今木山と面影山が約2km、甑山と面影山が約3km離れており、互いに近い距離で向き合っています。
A.いずれも標高100メートル前後の低い山です。甑山は標高100メートルほどで、麓からの高さは80メートルほどしかありません。今木山の標高は資料によって90メートル前後から98メートルまで、面影山は98メートルから108メートルまで幅があり、地図や登山情報で数値が食い違うことがあります。
A.万葉集の巻十に収められた「今木の丘」を詠んだ作者未詳の歌は、一般には大和の地を詠んだものとされますが、因幡ではこの歌が今木山を詠んだという説が古くから語られてきました。国府町町屋には、この歌の歌碑が大伴家持の歌碑とともに建てられています。面影山も万葉のおもむきを残す山として親しまれています。
A.甑山の山上には南北朝時代に築かれた甑山城の跡が残り、主郭や竪堀、帯曲輪といった遺構をたどれます。今木山には中腹の今木神社や、中世の城跡とみられる削平地があります。面影山の山中と周辺にはおよそ百基の古墳が散在すると伝えられ、経塚や堂、池田家の菩提寺なども点在しています。