【概要】
寛永11年(1634年)に水戸藩主・徳川頼房によって奉納されました。鮮やかな朱塗りが美しい楼門で、重要文化財に指定されています。「鹿島立ち」の言葉の由来ともなる歴史ある神社の正門です。
【歴史】
茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮の楼門は、寛永11年に水戸徳川家初代藩主の徳川頼房が奉納したものです。頼房は徳川家康の十一男で、水戸黄門として知られる光圀の父にあたります。境内には奥宮を家康が、本殿を秀忠が寄進するなど、江戸時代の初めに徳川家が手がけた造営が幾重にも重なっており、鹿島神宮の楼門もまた、その一連の営みのなかで生まれた、武の神を祀る社にふさわしい構えの建物です。
【特徴】
高さはおよそ13メートル、三間一戸の入母屋造で、二階建ての堂々とした構えを見せます。屋根は現在銅板葺ですが、もとは檜皮葺でした。二階建てとしては簡素な意匠ながら、鮮やかな朱塗りが鹿島の杜の深い緑によく映え、国の重要文化財に指定されています。掲げられた扁額の文字は、日本海海戦を指揮した東郷平八郎の書によるもので、訪れる人はまずこの朱色と力強い文字に目を奪われます。
【見どころ】
鹿島神宮の楼門をくぐると参道は右手の社殿へ折れ、その先はうっそうとした樹叢へと続きます。神鹿を飼う鹿園、砂を湧き上がらせる清冽な御手洗池など、七不思議と呼ばれる場所が点在します。主祭神は武甕槌大神で、勝負事や新たな門出の祈願に訪れる人が絶えません。旅立ちを意味する「鹿島立ち」という言葉も、この社に由来するとされています。境内を覆う樹叢は県の天然記念物です。
【トリビア】
楼門を奉納した徳川頼房は、寛永11年の当時まだ三十代のはじめという若い藩主でした。鹿島神宮への崇敬はその後も水戸徳川家に受け継がれ、二代藩主の光圀も社の整備に関わったと伝わります。阿蘇神社、筥崎宮の門と並んで日本三大楼門に数えられますが、三つのうち関東にあるのはこの門だけです。初詣の時期には毎年多くの参拝者が朱塗りの門をくぐり、門前の通りには土産物店や食事処が軒を連ねます。




