【概要】
静岡県掛川市掛川にあった城。文明年間(1469年–1487年)に朝比奈泰煕が築城したとされている。山内一豊が初めてこの城の天守閣を建てた時は、「東海の名城」とうたわれたという。日本100名城(42番)の一つ。戦国時代には、山内一豊が城主として10年間在城した。一豊は大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門を建設するとともに、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注いた。この城郭は、日本の歴史において重要な役割を果たしてきました。その堅固な守りと戦略的な立地は、当時の武将たちの知恵と力を今の世に伝えています。訪れる人々は、石垣や堀、復元された建物を通じて、かつての時代の息吹を肌で感じることができるでしょう。
【歴史】
掛川城は静岡県掛川市にある平山城で、文明年間(1469〜1487年)に駿河守護今川氏の重臣・朝比奈泰煕が築いたとされます。今川氏の没落後は徳川家康と武田氏の争奪の舞台となり、1590年(天正18年)に豊臣秀吉の家臣・山内一豊が城主となりました。一豊は十年余りにわたって天守や大手門を整え、城下町と大井川の治水にも力を注ぎます。関ヶ原の戦い後、一豊は土佐へ移りました。
【特徴】
掛川城の象徴である三層四階の天守は、1854年(安政元年)の安政東海地震で倒壊した後、長く失われていましたが、1994年に木造で復元されました。日本初の本格的な木造復元天守として知られ、延床面積は約305平方メートル、事業費は約10億5千万円を要しました。屋根の鯱は青銅製で、高さは約1.2メートルあります。現存する石垣や堀の一部とあわせ、「東海の名城」とうたわれた姿を今に伝えています。
【見どころ】
天守閣からは城下と遠州の山並みを一望できますが、見逃せないのが天守の南東に建つ掛川城御殿です。1855年(安政2年)から1861年(文久元年)にかけて藩主太田氏が再建した書院造の建物で、七棟から成り約二十の部屋が並びます。城郭御殿が現存する例は全国でも四か所しかなく、国の重要文化財に指定されています。ほかに江戸時代末期の太鼓櫓や、二の丸茶室も見どころとなっています。
【トリビア】
掛川城は日本百名城の42番に選ばれています。城主となった山内一豊が後に土佐一国を得たことから、出世城とも呼ばれます。妻の千代が嫁入り道具の鏡箱に隠した金子で名馬を買い、夫の出世を助けた逸話も広く知られています。また高知城の天守は掛川城を模したと伝わり、1994年の復元では高知城の天守が参考にされました。なお、御殿は明治以降に役場や市庁舎などに転用されたため、取り壊しを免れたとされます。




