【概要】
鹿児島城は鹿児島県鹿児島市の城山の麓に本丸と二の丸を並べた屋形造りの城で、鶴丸城とも呼ばれます。1601年ごろから島津氏が造営を始め、1604年に完成したとされ、幕末まで島津氏の本拠でした。天守は設けられず、建物は明治の火災と西南戦争で失われました。今は2020年に復元された国内最大級の城門である御楼門と、銃弾の跡が残る石垣を見ることができます。
【歴史】
関ヶ原の戦いの後も所領を安堵された島津氏が、1601年(慶長6年)ごろから新たな居城の造営を始め、初代薩摩藩主となった島津家久のもとで1604年に完成させたとされます。鹿児島城は幕末まで島津氏の本拠であり続けましたが、1873年(明治6年)の火災で本丸などを失い、1877年(明治10年)の西南戦争では二の丸も焼け落ちて、往時の建物はことごとく姿を消しました。
【特徴】
鹿児島県鹿児島市にあり、背後にそびえる城山を天然の要害として、その麓に本丸と二の丸を並べただけの屋形造りの城です。七十万石を超える大藩の居城としては異例なほど簡素な構えで、天守も高々とした石垣の詰城も設けませんでした。徳川幕府への配慮とも、家臣団を各地の外城に分けて守らせる薩摩独自の防衛体制によるものともいわれ、鶴丸城という別名で今も広く親しまれています。
【見どころ】
2020年(令和2年)に復元された本丸の御楼門は、高さも幅もおよそ20メートルという国内最大級の城門で、屋根に載る鯱もまた最大級の大きさを誇ります。門の両脇に長く続く石垣には、西南戦争のときに撃ち込まれた銃弾の跡が今も無数に刻まれたまま残されています。本丸跡には歴史資料の拠点である黎明館が建ち、島津家ゆかりの品や郷土の歴史、美術を通じて城の歩みをたどることができます。
【トリビア】
日本百名城の第97番に数えられます。背後の城山には西南戦争で西郷隆盛が最期を迎えた洞窟が残り、山頂の展望台からは桜島と錦江湾を一望できる絶景が広がります。御楼門の復元は民間から起こった募金活動が大きな原動力となり、県内外から多くの寄付を集めて実現したものです。石垣に囲まれた城跡の堀では、初夏になると水面いっぱいに蓮の花が咲きそろい、訪れる人の目を楽しませてくれます。
