【概要】
方広寺の梵鐘は、「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が徳川家康の怒りに触れ、大坂の陣のきっかけとなった「方広寺鐘銘事件」で知られています。日本一の重さと大きさを誇るとも言われる巨大な鐘です。
【歴史】
方広寺の鐘は、慶長19年(1614年)に豊臣秀頼が、父秀吉ゆかりの大仏殿の再興にあわせて鋳造させたものです。手がけたのは京都の三条釜座の鋳物師、名越三昌と伝わります。完成した鐘に刻まれた銘文が、のちに豊臣家の運命を大きく変えることになりました。国の重要文化財に指定され、今も方広寺の鐘楼に吊るされています。秀吉が建てた大仏殿はすでに失われ、鐘だけが往時の規模を今に伝えています。
【特徴】
高さはおよそ4.2メートル、口径は2.8メートル、厚さは27センチ、重さは82トンを超えます。方広寺の鐘は現存する梵鐘の中でも最大級の重さで、知恩院や東大寺の鐘と並んで日本三大梵鐘に数えられてきました。鐘の表面には長い銘文がびっしりと刻まれており、その文字の一部が歴史を動かしたという点でも、他に例のない鐘です。音を聴く機会はまれですが、その姿を間近に見られるのが方広寺の魅力です。
【見どころ】
問題となった「国家安康」「君臣豊楽」の文字は、今では白い枠で囲まれ、誰でもすぐに見つけられるようになっています。鐘楼は明治17年(1884年)に建て直されたもので、見上げれば天井画が残ります。隣接する豊国神社には、かつて大仏殿に敷かれていた石材を転用したと伝わる参道の敷石があり、あわせて歩けば栄枯盛衰がしのばれます。境内は静かで、京都の中心にありながら落ち着いて過ごせます。
【トリビア】
徳川家康は、銘文の「国家安康」が自分の名を二つに切り離すものであり、「君臣豊楽」は豊臣を君として楽しむ意だと難じました。銘を撰した禅僧の文英清韓は、名を織り込んだのは祝意を込めたためだと弁明したと伝わりますが受け入れられず、大坂の陣の口実となります。一つの銘文が戦を招いた稀有な例として、いまも境内では銘文の前で戦国の終わりに思いを馳せる人が絶えません。




