北条氏綱

(ほうじょううじつな)
📍 関東神奈川県 箱根町🏯 歴史

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【概要】

北条氏綱は後北条氏の二代目の当主で、父の伊勢宗瑞の跡を継いで小田原城を本拠とし、名字を伊勢から北条へ改めた人物です。武蔵の江戸城や河越城を攻め取り、第一次国府台合戦で小弓公方の足利義明を破って、南関東に勢力を広げました。大永元年(1521年)には、京都大徳寺の以天宗清を開山に迎えて、父ゆかりの早雲寺を箱根湯本に建てています。

【歴史】

北条氏綱は長享元年(1487年)に生まれ、永正15年(1518年)ごろに家督を継いだとみられます。大永4年(1524年)に扇谷上杉氏から江戸城を奪い、天文6年(1537年)には河越城も手に入れました。翌天文7年(1538年)の第一次国府台合戦では、房総の勢力を率いた小弓公方の足利義明を討ち取り、古河公方との結びつきを強めて、関東での立場を確かなものにしました。

【特徴】

氏綱の大きな事績が、大永3年(1523年)ごろに行った伊勢から北条への改姓です。鎌倉幕府の執権を務めた北条氏の名跡を名乗ることで、相模や武蔵を治める正統性を示し、よそから来た者という見方をぬぐおうとしたと考えられています。また、虎の図柄に「禄寿応穏」の文字を刻んだ印判を押した文書で命令を出す仕組みを整え、のちの領国経営の土台をつくりました。

【見どころ】

神奈川県箱根町にある早雲寺は、旧東海道に面した臨済宗大徳寺派の寺院です。境内の奥には、江戸時代に子孫の狭山藩主が建てた北条五代の墓が並び、苔むした石塔が静かにたたずみます。江戸時代初期の作とされる枯山水の庭や、連歌師の飯尾宗祇の墓、千利休の高弟で秀吉の怒りに触れた山上宗二の追善碑もあり、箱根湯本の温泉街から歩いて訪ねることができます。

【トリビア】

早雲寺は天正18年(1590年)の小田原征伐で豊臣秀吉が一時本陣を置いた寺で、のちに焼き払われたため、氏綱や氏康の墓所だった塔頭は所在がわからなくなりました。また「勝って兜の緒を締めよ」という言葉は、天文10年(1541年)に世を去る前の氏綱が、跡を継ぐ氏康に書き残した五か条の訓戒の結びにあると伝えられ、その用心深い人柄を今に伝えています。

📅 最終更新: 2026/11/8
北条氏綱
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です