北条氏政

(ほうじょううじまさ)
📍 関東神奈川県 小田原市🏯 歴史

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【概要】

北条氏政は後北条氏の四代目の当主で、父氏康の跡を継いで北条氏の領国を最も大きく広げた戦国大名です。家督を子の氏直に譲ったのちも実権を握りましたが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で降伏し、弟の氏照とともに切腹しました。神奈川県小田原市にある北条氏政・氏照の墓所は小田原駅の東口近くにあり、市の史跡として守られています。

【歴史】

北条氏政は天文7年(1538年)に氏康の次男として生まれ、兄が早世したため跡継ぎとなり、永禄2年(1559年)ごろに家督を継ぎました。武田や上杉と同盟と対立を繰り返しながら下総や上野へ勢力を伸ばし、天正8年(1580年)に家督を氏直に譲ったのちも政治と軍事を指導します。しかし天正17年(1589年)、名胡桃城をめぐる事件で豊臣秀吉との対立が決定的になりました。

【特徴】

天正18年(1590年)、豊臣秀吉は20万ともいわれる大軍で小田原を囲み、石垣山に城を築いて長期戦の構えを見せました。北条方は城下町ごと堀と土塁で囲んだ総構えにこもって戦いましたが、関東各地の支城が次々に落ち、約3か月後に開城します。氏政は開戦の責任を問われ、弟で八王子城主の氏照とともに切腹し、戦国大名としての後北条氏はここに終わりました。

【見どころ】

神奈川県小田原市にある北条氏政・氏照の墓所には、二人と氏政夫人の墓といわれる三基の五輪塔と墓碑が並び、二人が自害したと伝わる生害石も残ります。小田原駅の東口から歩いて数分の商店街の一角にひっそりとあり、小田原城の天守や総構えの堀跡を訪ねる前後に立ち寄りやすい史跡です。地元の人々の手で、今も丁寧に手入れが続けられています。

【トリビア】

この墓所は長く荒れていましたが、江戸時代に小田原藩主の稲葉氏が北条氏の供養のために整え直したと伝えられます。大正12年(1923年)の関東大震災で埋もれたものの、翌年には地元の有志によって復興されました。また氏政には、汁かけ飯に汁を二度かけたのを見た父が、汁の量も量れぬようでは北条も自分の代で終わりかと嘆いたという逸話がありますが、後世の創作とみる説もあります。

📅 最終更新: 2026/11/8
北条氏政
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です