北条五代

北条五代

北条五代は、戦国時代に相模国の小田原を本拠として関東の大半を治めた後北条氏の五人の当主、北条早雲(伊勢宗瑞)・氏綱・氏康・氏政・氏直を指す呼び名です。鎌倉幕府の執権北条氏と区別して後北条氏とも呼ばれます。伊豆への進出から天正18年(1590年)の小田原征伐で降伏するまで、およそ百年にわたって関東に勢力を張り、検地や虎の印判状を使った先進的な領国経営でも知られます。

日本名数>北条五代
北条氏康
🏯 歴史
📍 埼玉県 川越市

北条氏康

(ほうじょううじやす)

北条氏康は後北条氏の三代目の当主で、天文15年(1546年)の河越夜戦で上杉方の大軍を破り、北条氏を関東随一の勢力に押し上げた戦国大名です。武田信玄・今川義元と甲相駿三国同盟を結び、上杉謙信に小田原を囲まれても城を守り抜きました。夜戦の激戦地と伝わる埼玉県川越市にある東明寺には、いまも河越夜戦跡の碑が建っています。

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北条氏綱
🏯 歴史
📍 神奈川県 箱根町

北条氏綱

(ほうじょううじつな)

北条氏綱は後北条氏の二代目の当主で、父の伊勢宗瑞の跡を継いで小田原城を本拠とし、名字を伊勢から北条へ改めた人物です。武蔵の江戸城や河越城を攻め取り、第一次国府台合戦で小弓公方の足利義明を破って、南関東に勢力を広げました。大永元年(1521年)には、京都大徳寺の以天宗清を開山に迎えて、父ゆかりの早雲寺を箱根湯本に建てています。

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北条氏政
🏯 歴史
📍 神奈川県 小田原市

北条氏政

(ほうじょううじまさ)

北条氏政は後北条氏の四代目の当主で、父氏康の跡を継いで北条氏の領国を最も大きく広げた戦国大名です。家督を子の氏直に譲ったのちも実権を握りましたが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で降伏し、弟の氏照とともに切腹しました。神奈川県小田原市にある北条氏政・氏照の墓所は小田原駅の東口近くにあり、市の史跡として守られています。

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北条早雲
🏯 歴史
📍 静岡県 伊豆の国市

北条早雲

(ほうじょうそううん)

北条早雲は後北条氏の初代とされる戦国大名で、実名は伊勢盛時、出家してからは早雲庵宗瑞と号しました。室町幕府に仕えた伊勢氏の一族の出で、駿河の今川氏を助けたのち伊豆へ進み、さらに相模の小田原を手に入れて関東進出の足場を築きました。本人は生涯「北条」を名乗らず、晩年まで居城とした韮山城で永正16年(1519年)に没しています。

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北条氏直
🏯 歴史
📍 和歌山県 高野町

北条氏直

(ほうじょううじなお)

北条氏直は後北条氏の五代目で最後の当主です。母は武田信玄の娘、正室は徳川家康の娘の督姫で、天正18年(1590年)の小田原征伐で降伏すると、家康の婿であったことから命を助けられ、和歌山県高野町にある高野山へ送られて謹慎しました。翌年に赦免されたものの、同じ年のうちに大坂で病のため世を去り、北条五代の歴史はここで幕を閉じました。

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❓ 北条五代のよくある質問

Q.北条早雲は本人も「北条」を名乗っていたのですか?

A.北条早雲は生涯「北条」を名乗らず、本人の名乗りは伊勢新九郎盛時、出家してからは早雲庵宗瑞でした。名字を伊勢から北条へ改めたのは、二代目の北条氏綱です。大永3年(1523年)ごろの改姓で、鎌倉幕府の執権を務めた北条氏の名跡を名乗り、相模や武蔵を治める正統性を示そうとしたと考えられています。執権北条氏と区別して、後北条氏とも呼ばれます。

Q.北条五代はどれくらいの期間、関東を治めたのですか?

A.北条五代は、伊豆への進出から天正18年(1590年)の小田原征伐で降伏するまで、およそ百年にわたって関東に勢力を張りました。北条早雲は明応2年(1493年)ごろに伊豆へ討ち入り、やがて小田原を手に入れて関東進出の足場を築いています。検地や虎の印判状を使った先進的な領国経営でも知られます。

Q.小田原征伐で北条氏政と北条氏直はどうなりましたか?

A.天正18年(1590年)の小田原征伐で北条氏は降伏し、北条氏政は弟の氏照とともに切腹しました。当主の北条氏直は自らの切腹と引き換えに城兵の助命を願い出ましたが、秀吉は開戦の責任を氏政と氏照に問い、徳川家康の婿である氏直は命を助けて高野山へ追放しました。氏直は翌年赦免されたものの、同じ年のうちに大坂で病のため世を去りました。

Q.北条五代の墓はどこにありますか?

A.神奈川県箱根町の早雲寺の境内の奥に、江戸時代に子孫の狭山藩主が建てた北条五代の墓が並びます。早雲寺は北条氏綱が父ゆかりの寺として箱根湯本に建てた寺ですが、小田原征伐ののちに焼き払われ、氏綱や氏康の墓所だった塔頭は所在がわからなくなりました。神奈川県小田原市には、小田原駅の東口近くに北条氏政・氏照の墓所もあります。

Q.北条五代に伝わる家訓や教えにはどんなものがありますか?

A.北条早雲が家臣への心得を説いたと伝わる『早雲寺殿廿一箇条』は、早起きや身だしなみ、言葉づかいなど日々の戒めを並べた家訓です。「勝って兜の緒を締めよ」という言葉は、北条氏綱が跡を継ぐ氏康に書き残した五か条の訓戒の結びにあると伝えられます。北条氏康も没する前に、破れた武田氏との同盟を結び直すよう言い残したとされます。

📍 所在地マップ

愛知県岐阜県京都府群馬県三重県山梨県滋賀県静岡県石川県大阪府長野県34215北条早雲北条氏綱北条氏康北条氏直50 km地図データ: Natural Earth
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