祇園甲部

(ぎおんこうぶ)
📍 近畿京都府 京都市⛰️ 名所🎭 文化

【概要】

祇園甲部は京都市東山区にある京都で最大の花街で、八坂神社の門前で営まれた水茶屋から始まりました。花見小路通の四条通より南を中心にお茶屋や料理屋が並び、白川沿いの新橋地区は重要伝統的建造物群保存地区に選ばれています。明治5年に始まった春の都をどりで知られ、舞は京舞井上流ひとすじです。紋章は八つのつなぎ団子に「甲」の字を組み合わせた意匠です。

【歴史】

祇園甲部の始まりは、江戸時代の寛永年間に祇園社、今の八坂神社の門前で営まれた水茶屋とされています。享保17年(1732年)に茶屋渡世の営業が正式に許されると、祇園内六町と呼ばれる町々が開かれてさらに栄えました。明治の東京奠都で客足が落ちると、一力亭の九代目当主の杉浦治郎右衛門が明治5年(1872年)に祇園甲部歌舞会を設け、芸妓の自立と地位の向上を図りました。

【特徴】

祇園甲部の舞は京舞井上流に限られています。明治5年に京都博覧会の附博覧として都をどりが創始された際、三世井上八千代が振付を担い、芸妓と舞妓の群舞という新しい形を考え出したのが始まりです。都をどりは「ヨーイヤサー」の掛け声で幕が上がると一度も幕を下ろさずに踊り継ぐ総踊りの形式を守り、例年4月に祇園甲部歌舞練場で催されています。

【見どころ】

花見小路通の四条通より南は、明治以降に建仁寺の旧境内に開けた一帯で、2001年に電線の地中化と石畳の整備が終わり、紅殻格子のお茶屋が続く町並みが整いました。通りの南寄りには国の登録有形文化財の祇園甲部歌舞練場があり、耐震改修を経て2023年から再び都をどりの舞台となっています。通りから分かれる私道には撮影や立ち入りを断る掲示があるため、公道から眺めるのがマナーです。

【トリビア】

一力亭は大石内蔵助が遊んだ茶屋として歌舞伎でも知られ、もとは四条通に入口を構えていました。大正元年(1912年)に四条通沿いでのお茶屋営業が禁じられたため、入口を花見小路の側へ移しています。白川沿いでは戦時中に建物疎開で北側の家並みが取り壊され、その跡が今の遊歩道になりました。取り壊された中には、吉井勇が「かにかくに祇園はこひし」と詠んだお茶屋の大友も含まれていました。

📅 最終更新: 2026/10/2
祇園甲部
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です