京都五花街

京都五花街

京都五花街は、京都市内に残る五つの花街、祇園甲部・宮川町・先斗町・上七軒・祇園東をまとめた呼び名です。三つは東山区の祇園かいわいに集まり、先斗町は中京区の鴨川沿いに、上七軒は上京区の北野天満宮の東に位置しています。それぞれが独自の紋章と舞の流派をもち、春や秋に踊りの会を催して、芸妓や舞妓の技芸を披露しています。かつての島原を加えて六花街と呼ぶこともあります。

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祇園甲部
⛰️ 名所🎭 文化
📍 京都府 京都市

祇園甲部

(ぎおんこうぶ)

祇園甲部は京都市東山区にある京都で最大の花街で、八坂神社の門前で営まれた水茶屋から始まりました。花見小路通の四条通より南を中心にお茶屋や料理屋が並び、白川沿いの新橋地区は重要伝統的建造物群保存地区に選ばれています。明治5年に始まった春の都をどりで知られ、舞は京舞井上流ひとすじです。紋章は八つのつなぎ団子に「甲」の字を組み合わせた意匠です。

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宮川町
⛰️ 名所🎭 文化
📍 京都府 京都市

宮川町

(みやがわちょう)

宮川町は京都市東山区の鴨川の東岸、四条通から五条通へ南北に延びる宮川町通沿いに広がる花街です。名は祇園祭の神輿洗いが行われる四条大橋の下流の鴨川を宮川と呼んだことに由来するとされ、出雲阿国の歌舞伎踊りが流行った頃に芝居小屋と茶屋の町として始まりました。春の京おどりで知られ、舞は若柳流です。紋章は三つの輪をつないだ三つ輪です。

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先斗町
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先斗町

(ぽんとちょう)

先斗町は京都市中京区の鴨川と木屋町通の間を南北に延びる、長さおよそ500メートルの細い石畳の通りに開けた花街です。寛文10年(1670年)に鴨川の州を埋め立ててできた土地で、通りの東側の店は夏になると鴨川へ納涼床を張り出します。明治5年に始まった鴨川をどりは五花街で最も上演回数が多いことで知られ、紋章は舞い飛ぶ千鳥です。

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上七軒
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上七軒

(かみしちけん)

上七軒は京都市上京区、北野天満宮の東門の前に開けた花街です。室町時代に北野天満宮の社殿を造営した際の残材で七軒の茶店を建てたことが名の由来とされています。豊臣秀吉の北野大茶湯で団子を献上した故事にちなむ五つ団子の紋章を掲げ、春の北野をどりで知られます。西陣の旦那衆との結びつきに支えられて栄え、舞は花柳流で、茶道は近くの西方尼寺で習っています。

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祇園東
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祇園東

(ぎおんひがし)

祇園東は京都市東山区、花見小路通の四条通より北の東側に広がる花街です。明治14年(1881年)に祇園甲部から分かれて祇園乙部と称し、戦後に今の名に改めました。かつて膳所藩の屋敷があったことから膳所裏とも呼ばれた一帯で、八つのつなぎ団子の紋章を掲げています。舞は藤間流で、京都の花街で唯一秋に催される祇園をどりで知られています。

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❓ 京都五花街のよくある質問

Q.京都五花街はそれぞれどこにありますか?

A.祇園甲部、宮川町、祇園東の三つは東山区の祇園かいわいに、先斗町は中京区の鴨川と木屋町通の間に、上七軒は上京区の北野天満宮の東門の前にあります。直線距離では祇園かいわいの三つと先斗町が互いに約1km、上七軒はほかの四つから約4〜5km離れています。

Q.京都五花街の舞の流派はどう違いますか?

A.五つの花街はそれぞれ異なる流派の舞を受け継いでいます。祇園甲部は京舞井上流、宮川町は若柳流、先斗町は尾上流、上七軒は花柳流、祇園東は藤間流です。祇園甲部が井上流ひとすじであるのに対し、宮川町と祇園東は時代とともに流派が移り変わってきました。

Q.京都五花街にはどんな踊りの会がありますか?

A.祇園甲部の都をどり、宮川町の京おどり、先斗町の鴨川をどり、上七軒の北野をどりは春の公演です。祇園東の祇園をどりは、京都の花街の踊りの会で唯一秋に催される公演とされています。都をどりが総踊りの形式を守るのに対し、鴨川をどりは舞踊劇と舞踊ショーの二部で構成されるなど、演目の組み立てにも違いがあります。

Q.京都五花街はそれぞれいつ頃に始まったのですか?

A.上七軒は、上七軒歌舞会によると文安元年(1444年)に北野天満宮の造営の残材で七軒の茶店が建てられたのが起こりと伝えられます。宮川町は江戸時代初めの慶長年間、祇園甲部は寛永年間に始まったとされます。先斗町は寛文10年(1670年)に生まれた土地で、祇園東は明治14年(1881年)に祇園甲部から分かれました。

Q.祇園甲部と祇園東の紋章はなぜ似ているのですか?

A.もとは一つの祇園町だったためと考えられます。祇園東は明治14年(1881年)に祇園甲部から分かれて祇園乙部と称し、戦後に今の名に改めました。紋章はどちらも八つのつなぎ団子で、祇園甲部はそこに「甲」の字を加えており、並べると分かれる前の来歴がうかがえます。

📍 所在地マップ