京都五花街は、京都市内に残る五つの花街、祇園甲部・宮川町・先斗町・上七軒・祇園東をまとめた呼び名です。三つは東山区の祇園かいわいに集まり、先斗町は中京区の鴨川沿いに、上七軒は上京区の北野天満宮の東に位置しています。それぞれが独自の紋章と舞の流派をもち、春や秋に踊りの会を催して、芸妓や舞妓の技芸を披露しています。かつての島原を加えて六花街と呼ぶこともあります。
A.祇園甲部、宮川町、祇園東の三つは東山区の祇園かいわいに、先斗町は中京区の鴨川と木屋町通の間に、上七軒は上京区の北野天満宮の東門の前にあります。直線距離では祇園かいわいの三つと先斗町が互いに約1km、上七軒はほかの四つから約4〜5km離れています。
A.五つの花街はそれぞれ異なる流派の舞を受け継いでいます。祇園甲部は京舞井上流、宮川町は若柳流、先斗町は尾上流、上七軒は花柳流、祇園東は藤間流です。祇園甲部が井上流ひとすじであるのに対し、宮川町と祇園東は時代とともに流派が移り変わってきました。
A.祇園甲部の都をどり、宮川町の京おどり、先斗町の鴨川をどり、上七軒の北野をどりは春の公演です。祇園東の祇園をどりは、京都の花街の踊りの会で唯一秋に催される公演とされています。都をどりが総踊りの形式を守るのに対し、鴨川をどりは舞踊劇と舞踊ショーの二部で構成されるなど、演目の組み立てにも違いがあります。
A.上七軒は、上七軒歌舞会によると文安元年(1444年)に北野天満宮の造営の残材で七軒の茶店が建てられたのが起こりと伝えられます。宮川町は江戸時代初めの慶長年間、祇園甲部は寛永年間に始まったとされます。先斗町は寛文10年(1670年)に生まれた土地で、祇園東は明治14年(1881年)に祇園甲部から分かれました。
A.もとは一つの祇園町だったためと考えられます。祇園東は明治14年(1881年)に祇園甲部から分かれて祇園乙部と称し、戦後に今の名に改めました。紋章はどちらも八つのつなぎ団子で、祇園甲部はそこに「甲」の字を加えており、並べると分かれる前の来歴がうかがえます。