【概要】
岐阜城は岐阜県岐阜市の標高329メートルの金華山の頂に築かれた山城です。1201年(建仁元年)に二階堂行政が砦を築いたのが起こりと伝わり、稲葉山城として斎藤道三の居城となったのち、1567年に攻め落とした織田信長が岐阜城と改めて天下統一の拠点としました。今の天守は1956年に建てられた復興天守で、山上では信長時代の石垣も見つかっています。
【歴史】
岐阜城の起こりは建仁元年(1201年)、鎌倉幕府の執事二階堂行政が金華山に砦を築いたことにさかのぼると伝わります。戦国時代には稲葉山城と呼ばれて斎藤道三の居城となり、永禄10年(1567年)に織田信長が攻め落とすと、井ノ口の地名を岐阜と改め、城の名も岐阜城となります。信長はここを天下統一の拠点としましたが、慶長5年(1600年)の落城を経て翌年に廃城となり、資材は加納城へ移されました。
【特徴】
岐阜城は標高三百二十九メートルの金華山の頂に築かれた山城で、山裾を長良川が大きく巡る要害の地にあります。険しい岩山を登らねば近づけないことから難攻不落とうたわれ、美濃を制する者は天下を制すと語られました。近年の発掘調査では山上に信長時代の巨石を用いた石垣や天守台とみられる遺構が見つかり、山麓の千畳敷でも豪壮な居館の跡が確認され、城跡としての評価がいっそう高まっています。
【見どころ】
現在の天守は昭和31年(1956年)に多くの市民の寄付によって建てられた復興天守で、最上階の望楼からは眼下を蛇行する長良川と濃尾平野、晴れた日には伊勢湾や御嶽山まで見渡すことができます。山頂へは金華山ロープウェーで数分、登山道を歩けば一時間ほどで到達できます。夏や秋の夜間営業の時期に登れば、濃尾平野の灯が一面に広がる夜景を楽しむこともでき、昼とは別の顔に出会えます。
【トリビア】
信長が岐阜と改めたこの地名は、中国で周王朝が興った岐山と、儒学の祖である孔子ゆかりの曲阜から一字ずつ取ったものと伝わります。信長はこの城で天下布武の印を用い始め、宣教師ルイス・フロイスも山麓の壮麗な御殿を訪れ、その様子を記録に残しています。岐阜県岐阜市にある城跡は平成23年(2011年)に国の史跡へ指定され、日本百名城の三十九番にも数えられる東海の名城です。
