月山富田城

(がっさんとだじょう)
📍 中国島根県 安来市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

月山富田城は島根県安来市の標高約184メートルの月山に築かれた、中世屈指の要害の山城です。平安末期から鎌倉初期に出雲の守護所として築かれたと伝わり、戦国期には尼子氏の本拠となりましたが、1566年に毛利元就の兵糧攻めで尼子義久が降伏しました。今は山中御殿跡の石垣や本丸へ続く七曲りの登城路が残り、麓には復元された花ノ壇の建物があります。

【歴史】

月山富田城は平安末期から鎌倉初期にかけて出雲の守護所として築かれたと伝わり、南北朝期以降は京極氏の守護代を務めた尼子氏が拠点としました。戦国期には尼子経久が下剋上によって城を掌握し、山陰山陽の11か国に威を振るう大勢力へと成長します。しかし永禄9年(1566年)、毛利元就による長い兵糧攻めの末に尼子義久が降伏し、尼子氏6代170年の栄華は幕を閉じました。

【特徴】

島根県安来市にある標高約184メートルの月山に築かれた中世屈指の要害で、川の流れと急峻な斜面を天然の防御としています。塩谷口・菅谷口・御子守口の三方だけが登城路として開かれ、細く折れ曲がる道が寄せ手の大軍を阻みました。城域は山上の城塞部と山麓の居館部からなり、難攻不落と称された堅固さから日本五大山城の一つにも数えられ、山麓には家臣団の屋敷が並んでいたと伝わります。

【見どころ】

中腹の山中御殿跡は広大な平坦地で、周囲を巡る堂々たる石垣が往時の威容を伝えています。そこから山頂の本丸へは七曲りと呼ばれる急な九十九折の登城路が続き、息を切らして登り着くと尾根の上に三の丸・二の丸・本丸が一直線に並びます。麓には復元された花ノ壇の建物や歴史資料館があり、尼子氏の興亡をたどることができます。昭和9年には国の史跡に指定され、日本100名城にも選ばれています。

【トリビア】

主家の再興を志した家臣の山中鹿介幸盛は、三日月に向かって「我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったと伝えられ、山陰の麒麟児と称されました。城跡には尼子経久の騎馬像とともに鹿介の祈月像が建てられています。慶長5年に入城した堀尾吉晴は山城の不便さを嫌い、慶長16年に松江へ本拠を移したため廃城となりましたが、近年は史跡整備が進み往時の姿がよみがえりつつあります。

📅 最終更新: 2026/9/25
月山富田城
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です