不破関

(ふわのせき)
📍 岐阜県 関ケ原町🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

不破関は、岐阜県関ケ原町にある松尾の台地に跡が整備された古代の関で、東山道を押さえて畿内の東を守りました。壬申の乱で大海人皇子がこの地を制した経験をもとに置かれたと考えられ、藤古川の崖と版築の土塁に囲まれた十二ヘクタール余りの広がりを持ちます。岐阜県の史跡に指定され、隣接する不破関資料館では出土品や復元模型を見ることができます。関ヶ原という地名はこの関に由来します。

【歴史】

不破関は美濃国不破郡に置かれた関で、六七二年の壬申の乱の後、律令の仕組みが整えられていく中で設けられたとされます。乱では大海人皇子が不破の道を押さえて東国の兵を集め、大友皇子の軍を破りました。畿内から東へ逃れる者を防ぐという不破関の役割は、この経験に根ざしていると考えられています。延暦八年に三関が停廃された後も、関守が置かれて跡地は守り継がれました。

【特徴】

関の範囲は西を藤古川の段丘崖に守られ、北と東と南の三方を版築の土塁で囲んだ台形をしており、広さは十二・四ヘクタールに及びます。北面の土塁は東西に四百六十メートルあまり、東面は南北に四百三十メートルあまりが確かめられました。昭和四十八年から五か年にわたる範囲確認調査で外郭の姿がとらえられ、正庁跡や竪穴住居跡、望楼跡と見られる遺構も見つかっています。

【見どころ】

岐阜県関ケ原町にある松尾の関跡には不破関資料館が建ち、須恵器や土師器、瓦、和同開珎などの出土品と、当時の姿を写した復元模型や復元画像が並びます。屋外では土塁の高まりや藤古川へ落ちる崖をたどって歩け、不破関が地形をそのまま防御に用いていたことがよくわかります。近くには関守の屋敷跡と伝わる不破関守跡もあり、あわせて巡ることができます。

【トリビア】

関ヶ原という地名は、この不破関が置かれた原という意味から生まれたとされます。壬申の乱でも慶長五年の関ヶ原の戦いでも、天下を分ける戦いの舞台がここになったのは、東西を結ぶ道が山あいで一本に絞られる地形のためでした。関跡では近年も発掘調査が続けられており、古代の関の構造をめぐる新しい成果が少しずつ重ねられています。

📅 最終更新: 2026/9/14
不破関
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です