福済寺

(ふくさいじ)
📍 長崎県 長崎市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

長崎県長崎市にある分紫山福済寺は、寛永5年(1628年)に福建省泉州出身の僧覚海が開いた唐寺です。かつては本堂などが国宝に指定されていましたが、昭和20年(1945年)の原爆で焼け落ち、江戸時代の建物は残っていません。現在は跡地に建つ巨大な万国霊廟長崎観音が、港を望む高台から静かに町を見守っています。

【歴史】

福済寺は、福建省の泉州から渡ってきた僧の覚海が寛永5年(1628年)に開いた唐寺で、泉州や漳州の出身者が集まったことから泉州寺、漳州寺とも呼ばれました。山号の分紫山は、開山が泉州の紫雲山に住していたことにちなむと伝わります。明治43年(1910年)には本堂などが国宝に指定され、長崎を代表する中国様式の伽藍として広く知られていました。

【特徴】

昭和20年(1945年)8月9日の原爆によって福済寺の伽藍は焼け落ち、江戸時代から受け継がれてきた建物は失われました。そのため現在の境内に往時の堂宇は残っていません。焼け跡には昭和54年(1979年)に万国霊廟長崎観音が建てられ、霊亀の背に立つ白い観音像が、坂の多い市街地とその先に広がる港を静かに見下ろす姿は、この寺を象徴する眺めになっています。

【見どころ】

万国霊廟長崎観音は、観音像そのものの高さが約18メートル、台座となる亀を含めると約34メートルにも達し、遠くからでもよく目立つ姿をしています。像の内部には全長25.1メートルのフーコーの振り子が吊るされ、ゆっくりと揺れながら地球の自転を示しています。日本でも最大級の規模を持つ振り子として知られています。

【トリビア】

福済寺の観音像は、太平洋戦争の戦没者と原爆の犠牲者を国籍を問わず慰霊したいという願いから、万国霊廟と名づけられました。長崎駅の北側の高台にあるため、境内からは港や市街地の景色が大きく開け、参拝とあわせて眺めを楽しむ人も少なくありません。長崎三福寺のなかでも、失われた歴史と戦後の祈りが重なる、ほかの二寺とは性格の異なる一寺となっています。

📅 最終更新: 2026/9/14
福済寺
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です