【概要】
奈良時代の僧侶。孝謙天皇(称徳天皇)の寵愛を受け、法王となって権勢を振るいましたが、宇佐八幡宮神託事件により皇位継承を阻止され、後ろ盾を失った後に下野薬師寺(栃木県)へ左遷されました。
【歴史】
道鏡は奈良時代の僧で、俗姓を弓削といい、河内国若江郡の出身と伝わります。禅法や看病の術に通じ、病床にあった孝謙上皇を看護したことで深い信任を得ました。上皇が重祚して称徳天皇となると、七六五年に太政大臣禅師、翌年には法王の位に就き、僧の身でありながら政務の中枢を握るという前例のない立場に上り詰めました。僧の身での異例の昇進こそが、のちに道鏡が「日本三悪人」の一人として語られることになる出発点でした。
【特徴】
道鏡の政治は仏教を国家の柱に据えるもので、西大寺の造営や寺院への手厚い保護、殺生を禁じる令などに特徴があります。一方で藤原氏をはじめとする貴族層の反発は根強く、七六九年には宇佐八幡宮の神託と称し、道鏡を皇位に就ければ天下は泰平になるとの奏上がなされました。和気清麻呂が改めて神意を問い、これを否定したと伝わります。この宇佐八幡宮の神託をめぐる事件によって、道鏡の権勢は頂点から一転して傾いていきました。
【見どころ】
七七〇年に称徳天皇が崩じると、道鏡は造下野薬師寺別当として都を追われ、二年後の七七二年に同地で没しました。ゆかりの下野薬師寺跡は栃木県下野市にあり、回廊の一部が復元されて史跡公園として整備されています。隣接する歴史館では出土品や伽藍の模型を展示し、近くの龍興寺の境内には墓と伝えられる塚が残され、都を追われた僧の晩年をしのぶことができます。周辺は田園に囲まれ、静かに歩ける史跡として親しまれています。
【トリビア】
道鏡の体格や精力にまつわる俗説は江戸時代の川柳などを通じて広まりましたが、いずれも後世の創作とみられ、確かな史料の裏づけはありません。近年の研究では、称徳天皇の仏教政策を支えた実務者であり、天皇の死後に政争の敗者として断罪された面が大きいと指摘されています。左遷の後も罪人としてではなく僧として遇されたとも伝わります。悪人か否かという評価は、語る時代の立場によって揺れ動いてきたといえるでしょう。




